嘘でいいから、 抱きしめて
第一章◇運に愛された君
─23になる、冬の初め。
兄に持ち掛けられた廃墟の研究の為、男は国より独立させられた街へとひとり、赴いた。
「初めまして」
迎えてくれたのは、独立した街【東雲】で産まれ育った秀才医師─松山勇真(マツヤマ ユウマ)。
齢28になる彼は【東雲】唯一の医院を経営しており、街の外である“外界”にも、有能だという噂は広がっていた。
理由は幾つかあるが、ひとつは彼の父親である、亡き松山久貴(マツヤマ ヒサキ)が鬼才だったためだ。
松山久貴の偉業は誰もが舌を巻くほどのものばかりで、有名なところで言うと、新薬の発明や新しい術法などだろうか。彼に不可能はないだとか、怪しげな術でも使っているのではないか、とか、色々な噂も立ち続ける中で、彼は次々と新発見したものを発表し、多くの本を遺した。
複数ヵ国語を操り、国内のみならず、海外にまで名を轟かせた鬼才は惜しくも若くして事故で亡くなったが、そんな彼の遺した知識などに幼い頃から触れていた子息である彼は父親の片鱗を見せる働きをしているという。
─実際、顔を合わせて会うのは初めてだった。
しかし、彼の書いた論文はいくつも読んだことがある。
それらは新しい知見を得られるものばかりであり、彼は父親から与えられるだけではない、親の七光りなんて言葉は相応しくない人物だと思っていた。
「この度は急な申し出だったにも関わらず、許可を頂けたこと、感謝しております。お会いできて光栄です」
男がそう言って頭を下げると、彼は笑う。
「こちらの台詞です。俺は偉大な学者様に頭を下げられるような存在ではないです。そんなに堅苦しくならず、肩の力を抜いてください」
柔和な笑みに、特に深い意味はなさそうだった。
男の家族と深い付き合いがある、癖が強い一家の中でも、一段と癖が強い方が気に入ってるという言葉を思い出し、男は肩の力を抜く。
「ここまで来るの、大変だったでしょう?手続きとか」
「いえ。陽向さんがやってくださったので、特には」
「ああ、彼の依頼で来たんでしたっけ。相変わらず、人遣いが荒いなぁ……」
癖が強いあの方をそう言ってしまうあたり、彼らの関係性がよくわかるというものだ。
「滞在中の為の家を建てられたのは、労い……?」
勇真さんはそう言って、首を傾げる。
そう。最初から、男に拒否権はなかった。
男が安心して仕事に打ち込めるよう、街中に家まで建てられてしまっては、逃げ場などあるはずもない。
「逃げ場を無くすためかと。─まぁ、頭の悪い連中を相手しなくていいだけ、マシですが」
男にとって、“外の世界”は苦痛でしか無かった。
親の七光りなんて言葉は、男がいちばん嫌っている言葉。
「……ある程度、あなたの立場はお聞きしていますが。難儀ですよね、お互いに」
彼はそう言って笑った。─“仲間”だというように。