だから、あたしは
 いつもは優しい西嶋先生が本気で怒っているものだから、本田もバツが悪いのだろう。先生に媚びるようにヘラリと笑っている。

「別に、プロレスごっこをしていただけですよ。西島先生。誤解させてしまってすみません」

 卑屈な笑みを残してから本田が去っている。西島先生が あたしを覗き込みながら心配そうに尋ねてきた。

「大丈夫なの? 顔に痣が……」

「便器の蓋に押し付けられたんです。殴られました」

「可哀想に……」

 鉄の匂いがすると思ったら、やっぱり唇の端が切れていたのね。先生は清潔なハンカチを差し出しながら優しく告げている。

「思春期の男の子って乱暴ね。あなたを探しに来て良かったわ。先刻まで吉良監督や解析メンバーと一緒に三階にいたら、大河内くんが言ったの。山田くんが苛められているから探して欲しいって。来てみたら本当に苛められていたから驚いたわ」

「大河内さんが、そんなことを言ったのですか?」

「彼は、ミーティングの真っ最中で動けなかったのよ。あの子は勘がいいわ。ところで、あなた、いつから本田くんに苛められているの?」

「最初からです。一年生はみんな苛められています。こんなことぐらいで負けません。別に上に報告しなくていいですよ」

 刑事事件になると困る。あたしの性別詐称がバレちゃうもの。あたしのパスポートは女のままなのだ。

「そうね……。あなたがそう言うのなら黙っておくわね」

 そこで、西嶋先生が話題を変えた。

「あっ、そうだ。うちの妹がお琴の演奏会を開くのいるのよ。ぜひ、騎士くんに来てもらいたいと思ってるの。そうだ! あなたも来ない? 実は、昔、婚約していた事があるの。今でも、妹は騎士くんに未練タラタラなのよ」

 前に、婚約の事は菊太郎から聞いたことがあるのだが……。

「なぜ、二人は婚約を解消したのですか?」

「妹が十歳の時に心臓の手術をすることになったけど、胸にメスなんか入れたくないって泣いたのよ。根気強く説得してくれたのが騎士くんなの。初恋の騎士くんと結婚することを夢見ていたのよ。失恋しちゃったのに、まだ諦めてはいないの。懲りない子なのよ」

「そうなんですか」

 妹さんってどんな人なのだろう。西嶋先生は優しいけれど、イジメの現場を見たら注意する厳しさも持ち合わせている。

 やっぱり、妹さんも綺麗なのかな? うん、きっと、そうに決まっているわ。

「あの! お琴の会のことは先生が騎士に言ってください! それと、大河内さんに助けてくれてありがとうと、伝えておいてください」

「えっ、山田くん、ねえ、急にどうしたの……?」

「帰ります」

 挙動不審なあたしを見て変に思ったかもしれない。でも、あたし、自分の感情を抑えられない。

 だって、騎士の婚約者の話を聞いて動揺しているんだもん! 

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