琥珀色の溺愛 ーー社長本気ですか?


「へえー、本当に来ていたんだな」

不躾な言葉に振り返ると、キリギリス・・・いや従兄弟の隆一さんが立っていた。
その隣にいる若い男性は見たことがないから大政の人ではないのだろう。

私の視線を受けて見知らぬ男性が一歩前に進み出た。

「こんばんは。葵羽さん。初対面ではないんだけど覚えてないかな?」

はて。初対面じゃない?

年齢はキリギリ・・・隆一さんと同じくらい。見た目はキリギリ・・・隆一さんよりずっと整っているし優しげだ。
どこで会ったのだろう。全く記憶にない。

「失礼ですけど、うちの妻とはどのような?」

近くを通ったウェイターに私と自分の飲み終わったグラスを渡した社長がぐいと私の腰を引き寄せ男から一歩遠ざける。

「これは大変失礼しました。シュミット社長。お初にお目にかかります。来月から大政の本社でお世話になることが決まりました中林知己と申します。まだ名刺の準備が出来ておりませんので今日は口頭でのご挨拶で失礼いたします」

男性は社長に丁寧にお辞儀をした後、顔を上げるとまた私ににこりと笑顔を見せた。

「忘れちゃった?昔、野木の屋敷で会ったこと」

野木の屋敷?
野木と言えばキリギリス・・・いや隆一さんの実家だ。
大政の現社長は父の妹の夫だから私の叔母の夫。叔父ではあるが私と血のつながりはない。

昔はたまに野木の家に行くこともあったけど、そこでこの人に会ったってことか。うーん、記憶にない。

首を傾げていると中林さんはくすりと笑った。

「忘れじの 行く末までは 難ければ ーー」

百人一首の句?
え、あ、百人一首のお兄ちゃん?!

思い出した。

小学生の頃野木のおうちで親族の集まりがあり、それに連れて行かれたのだけど、何を話しているのかわからない大人の中にいるのは面白くなくて廊下に出たら同じく暇を持て余して百人一首をしていた中林さんとキリギリ・・・いや隆一さんに会ったのだ。

「野木のおばさまの息子さんですよね?」
「そう。よく思い出したね」

そうだ、よく見たら見覚えがある。ただ記憶の中のお兄ちゃんよりずっと大人になっていて気が付かなかっただけ。

野木社長の妹さんの息子さん。
キリギリス・・・いや隆一さんの父方の従兄弟だ。私はヤツの母方のいとこだから私と中林さんには血縁はない。

あの頃の私はまだ小学校低学年でキリギリ・・・隆一さんと中林さんは中学1年生だった。
百人一首などよくわからない私にキリギリスは意地悪なことを言うばかりだったけど、中林さんは優しく手ほどきしてくれたのだった。

それから二度ほど野木の屋敷で会ったことがあったけれど、その後は顔を合わせることはなかったと記憶している。

「ご両親のことお悔やみ申し上げます。実は当時ずっと海外にいてね、葬儀にも顔を出せずに申し訳なかった。葵羽さんに会えたらお詫びしようとずっと思っていたんだ」

「いいえ、どうかお気遣いなく。突然のことでしたし」

「それに既に結婚されたと聞いて驚いたよ。でも葵羽さんを守ってくれる人がいてよかった」

「・・・ありがとうございます」

いままで多くの親戚にシュミット社長との結婚の話をされたけれど、この結婚をよかったと言ってくれたのは中林さんだけだった。
キリギリスなんて未だに離婚しろと言ってくるし。

「これからは何度か顔を合わせる機会もあると思うから、どうぞよろしく」
「こちらこそ」

人の良さそうな笑顔を見せる中林さんに私はキリギリスには見せたことのない笑顔を向けた。

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