八王子先輩と私の秘密
第4話 八王子先輩と私の疑惑
「ねえねえ、村崎さん。八王子さんと付き合ってるってホント?」
「エッ!?」
同期の女性社員にそう言われて、私は完全に不意をつかれた。
たしかに、私――村崎薫子には不本意ながら恋人がいる。『営業部の王子様』と呼ばれ大人気の八王子秀一先輩だ。同じ会社の女性社員にモテモテで付き合えればある程度のステータスにはなるのだろうが、私としては誠に不本意である。顔も声もいいが、蓋を開ければ匂いフェチのド変態。私がいい匂いをさせているからと酔い潰してホテルに連れ込み、そのまま一夜を過ごしてしまったという成り行きでの交際なので私にとっては困惑の一言である。
「…………えっと、なんでそう思うんですか?」
「こないだの週末、村崎さんと八王子さんが恋人繋ぎしてホテル街に向かっていくのを見たって噂が立ってて」
バッチリ目撃されとるがな。ちなみに事実である。
うわー、どうやって言い訳しよう……と悩んでいると、
「ごめん、ちょっといいかな。取引先と契約が取れたから書類見てほしいんだけど」
――と、聞き慣れたイケメンボイス。
「あっ、八王子さん!」
経理部の女性社員たちは黄色い声を上げて八王子先輩を歓迎する。八王子先輩は営業部でもトップの営業実績があり、その甘いマスクで会社中の、いや会社外でも女性たちを骨抜きにしている魔性の男である。
「相変わらず営業上手いですね」
「運がいいだけだよ」
そう言って爽やかに笑う八王子先輩。奴がド変態であることは、私以外知らないらしい。
ふと、八王子先輩が私を視界に収めたらしく、私に向かって小さく手を振る。私は特に反応しない。すると「今手を振った!?」「ファンサービスいいわぁ!」と周りの女性社員たちが勝手に盛り上がる。みんな自分にしてくれたのだと思い込んでくれるので、私が反応しないほうが都合がいい。
「そういえば、さっき村崎さんと話してたんですけど、お二人が付き合ってるって本当ですか?」
先ほど私に突撃してきた同期がそう言うと、女性社員たちが一斉にこっちを見る。思わず「ヒェッ……」と声が漏れそうになった。
女性の嫉妬は怖い。下手にモテる男と付き合うと、こういう苦労があるのか、と私は震え上がった。
八王子先輩はというと、ちょっと考える仕草をして、
「……ふふ、ご想像にお任せしようかな」と思わせぶりに笑うのである。
いや、その反応はもう確定でしょうよ。やめて……これ以上心労を増やさないで……。
「付き合ってない! 付き合ってないです!」
私は思わず否定を口にしていた。
「え、でも見た人がいるって……」
「幻覚じゃないですかね!? きっとそうですよ!」
「幻覚って……」
女性社員たちは苦笑を漏らす。ちょっと穏やかな雰囲気になった気がする。
八王子先輩は、と恐る恐る見やると、彼は黙って微笑んでいた。
……しかし、私は何故か威圧感というか、なにか恐ろしいものを感じたのであった。
「――……そんなに俺と付き合ってるの嫌なの?」
私が一人で休憩室の自販機の前に立ち、コーヒーでも買おうかな、なんて考えていたら、背後から八王子先輩に自販機ドンされ、放たれた一言である。
「せ、先輩……? 怒ってます……?」
「怒るっていうか……ちょっとショックかも……」
いつも上機嫌で私の匂いを嗅いでいる先輩にしては珍しく、しょぼんとした顔で私を見つめている。犬の耳が垂れ下がっている幻覚が見えた。
「あーあ、傷ついちゃうなぁ。俺はこんなに薫子さんが好きなのに」
「……白々しいですね。あなたが好きなのは私の匂いでしょう」
そう返してやると、八王子先輩はキョトンとした顔をする。
それから、彼は何故かくつくつと笑いだした。
「なんですか」
「いや? 薫子さんが拗ねてて可愛いなって」
今度は私がキョトンとする番だった。
「……? ちょっと意味がよく分からないんですけど」
「ああ、自覚がないのか」
そう言って、自販機ドンしたままの至近距離で、先輩は私の耳に顔を寄せる。
「俺はね、薫子さんの匂いだけじゃなくて、薫子さんも好きなんだよ。信じてもらえないかもしれないけど」
「は?」
私の匂い以外で私のどこに惹かれたというのだろう。そもそもどのタイミングで私を好きになったというのか。というか、今まで匂い以外の話をしてなかったような。
……とツッコミを入れる間もなく、耳になにかヌルッとしたものが入る感覚がして、思わず身体が跳ねた。
「ひっ、!?」
耳の中を八王子先輩の舌が掻き回す音が脳内まで響いて、ゾクゾクッと背すじが粟立つ。
「……ほら、俺たち、身体の相性もいいでしょ?」
舌が耳を離れたと思うと、先輩の甘い声が耳をくすぐった。
「――ッ、最っ低!」
平手打ちしようとしたが、先輩が避けて私の手は空振りに終わった。そのまま空振りした手を絡め取られる。
「ふふ、怒った薫子さんも可愛い」
「馬鹿にしてるんですか!?」
「やだなぁ、本心だよ」
ホンットにムカつくな、この野郎!
ガルルと唸る私を、先輩はどこか愛おしそうに笑っているのであった。
〈続く〉
「エッ!?」
同期の女性社員にそう言われて、私は完全に不意をつかれた。
たしかに、私――村崎薫子には不本意ながら恋人がいる。『営業部の王子様』と呼ばれ大人気の八王子秀一先輩だ。同じ会社の女性社員にモテモテで付き合えればある程度のステータスにはなるのだろうが、私としては誠に不本意である。顔も声もいいが、蓋を開ければ匂いフェチのド変態。私がいい匂いをさせているからと酔い潰してホテルに連れ込み、そのまま一夜を過ごしてしまったという成り行きでの交際なので私にとっては困惑の一言である。
「…………えっと、なんでそう思うんですか?」
「こないだの週末、村崎さんと八王子さんが恋人繋ぎしてホテル街に向かっていくのを見たって噂が立ってて」
バッチリ目撃されとるがな。ちなみに事実である。
うわー、どうやって言い訳しよう……と悩んでいると、
「ごめん、ちょっといいかな。取引先と契約が取れたから書類見てほしいんだけど」
――と、聞き慣れたイケメンボイス。
「あっ、八王子さん!」
経理部の女性社員たちは黄色い声を上げて八王子先輩を歓迎する。八王子先輩は営業部でもトップの営業実績があり、その甘いマスクで会社中の、いや会社外でも女性たちを骨抜きにしている魔性の男である。
「相変わらず営業上手いですね」
「運がいいだけだよ」
そう言って爽やかに笑う八王子先輩。奴がド変態であることは、私以外知らないらしい。
ふと、八王子先輩が私を視界に収めたらしく、私に向かって小さく手を振る。私は特に反応しない。すると「今手を振った!?」「ファンサービスいいわぁ!」と周りの女性社員たちが勝手に盛り上がる。みんな自分にしてくれたのだと思い込んでくれるので、私が反応しないほうが都合がいい。
「そういえば、さっき村崎さんと話してたんですけど、お二人が付き合ってるって本当ですか?」
先ほど私に突撃してきた同期がそう言うと、女性社員たちが一斉にこっちを見る。思わず「ヒェッ……」と声が漏れそうになった。
女性の嫉妬は怖い。下手にモテる男と付き合うと、こういう苦労があるのか、と私は震え上がった。
八王子先輩はというと、ちょっと考える仕草をして、
「……ふふ、ご想像にお任せしようかな」と思わせぶりに笑うのである。
いや、その反応はもう確定でしょうよ。やめて……これ以上心労を増やさないで……。
「付き合ってない! 付き合ってないです!」
私は思わず否定を口にしていた。
「え、でも見た人がいるって……」
「幻覚じゃないですかね!? きっとそうですよ!」
「幻覚って……」
女性社員たちは苦笑を漏らす。ちょっと穏やかな雰囲気になった気がする。
八王子先輩は、と恐る恐る見やると、彼は黙って微笑んでいた。
……しかし、私は何故か威圧感というか、なにか恐ろしいものを感じたのであった。
「――……そんなに俺と付き合ってるの嫌なの?」
私が一人で休憩室の自販機の前に立ち、コーヒーでも買おうかな、なんて考えていたら、背後から八王子先輩に自販機ドンされ、放たれた一言である。
「せ、先輩……? 怒ってます……?」
「怒るっていうか……ちょっとショックかも……」
いつも上機嫌で私の匂いを嗅いでいる先輩にしては珍しく、しょぼんとした顔で私を見つめている。犬の耳が垂れ下がっている幻覚が見えた。
「あーあ、傷ついちゃうなぁ。俺はこんなに薫子さんが好きなのに」
「……白々しいですね。あなたが好きなのは私の匂いでしょう」
そう返してやると、八王子先輩はキョトンとした顔をする。
それから、彼は何故かくつくつと笑いだした。
「なんですか」
「いや? 薫子さんが拗ねてて可愛いなって」
今度は私がキョトンとする番だった。
「……? ちょっと意味がよく分からないんですけど」
「ああ、自覚がないのか」
そう言って、自販機ドンしたままの至近距離で、先輩は私の耳に顔を寄せる。
「俺はね、薫子さんの匂いだけじゃなくて、薫子さんも好きなんだよ。信じてもらえないかもしれないけど」
「は?」
私の匂い以外で私のどこに惹かれたというのだろう。そもそもどのタイミングで私を好きになったというのか。というか、今まで匂い以外の話をしてなかったような。
……とツッコミを入れる間もなく、耳になにかヌルッとしたものが入る感覚がして、思わず身体が跳ねた。
「ひっ、!?」
耳の中を八王子先輩の舌が掻き回す音が脳内まで響いて、ゾクゾクッと背すじが粟立つ。
「……ほら、俺たち、身体の相性もいいでしょ?」
舌が耳を離れたと思うと、先輩の甘い声が耳をくすぐった。
「――ッ、最っ低!」
平手打ちしようとしたが、先輩が避けて私の手は空振りに終わった。そのまま空振りした手を絡め取られる。
「ふふ、怒った薫子さんも可愛い」
「馬鹿にしてるんですか!?」
「やだなぁ、本心だよ」
ホンットにムカつくな、この野郎!
ガルルと唸る私を、先輩はどこか愛おしそうに笑っているのであった。
〈続く〉