八王子先輩と私の秘密

第5話 八王子先輩と私のフェチシズム

突然だが、私――村崎薫子には、毎朝出勤するときの楽しみがある。
 電車を待っている時、そして電車で運良く席に座れた時。私は音楽プレーヤーを取り出し、イヤホンを耳につける。
 傍目から見れば音楽を聴いているように見えるが、中身はボイスCDを音楽プレーヤーにコピーしたものだ。
 私の秘密。それは声フェチであること。
 特に男性声優のイケメンボイスが大好物だ。視聴している自分に話しかけているかのようなシチュエーションものだと文句なし。そういったものにはちょっと濡れ場が含まれているものもあるが、まあいい歳の大人だし恥ずかしがるようなウブでもない。イヤホンの端子が音楽プレーヤーから外れないようには気をつけてるけど。
 あー、今日もこの声を聴いてお仕事頑張れる……。
 私は電車に揺られながらテンションを上げて、仕事に向かうのが日課になっているのである。

「――おはよ、薫子さん」
「うひゃあっ!?」
 会社に向かう途中で突然耳元で声を吹き込まれて、私はびくりと身体が跳ねた。
「ちょっと! いつも後ろから耳元で話しかけるなって言ってるじゃないですか!」
 振り向くと思った通り八王子秀一先輩が立っている。
「あっはは、ごめんごめん。薫子さんの反応がいちいち面白くて」
 ホント腹立つなコイツ……!
「あと会社では下の名前で呼ばないでくださいね」
 私はジトッ……とした目で睨みつけるが、八王子先輩はヘラヘラ笑っている。もしかして上目遣いにでも見えてんのか?
「もういっそ付き合ってるって公言しちゃったほうが楽なんじゃないの?」
「それはそれで地獄なんですよ、あなたには分からないでしょうけど」
 八王子先輩は『営業部の王子様』の呼び声が高い(見た目と声だけは)イケメンだ。狙いを定めている女性社員も多いだろうし、彼女たちの嫉妬をこちらに向けられるのは迷惑というか。
 そもそも八王子先輩と交際するきっかけになったのも、私の匂いが先輩の理想だったという、自分ではどうしようもない(というか気付きようがない)理由なのでそこそこ迷惑ではある。まあ悪臭を放ってるよりはマシなのかもしれないが。
 ふと、私は八王子先輩からいい香りがすることに気付いた。距離が近いからわかる程度の淡い匂いだ。
「先輩、なにか香水つけてます?」
「ああ、気付いた? 今日は香り袋を持ってきてるんだ」
 そう言って、先輩はスーツの胸ポケットからポプリのようなものを取り出す。
「いい匂いですね」
「藤の花だよ。家にある中で一番薫子さんに近い匂いかな」
「そうなんですか?」
 私、香水とかそういうの一切つけてないのに、本当にこんないい匂いするのかな?
「薫子さんに会えない間も、なるべく近くに感じていたくて」
「はあ」
「ま、薫子さんの匂いが一番興奮するけどね?」
「あーハイハイ」
 私はテキトーにあしらった。
 八王子先輩の秘密。それは匂いフェチであること。特に私の匂いが好きらしく、酔い潰してホテルに連れ込んだくらいである。……改めて考えると、これ犯罪レベルでは?
 考え込んでいると、不意に「薫子さんっていつも音楽プレーヤー持ってきてるけど、何聴いてんの?」と質問が降ってきた。
「……普通に音楽ですよ。流行りのものや話題になってるものを適当に入れてます」
 私はナチュラルに嘘をつく。どうかバレませんように。
「そうなんだ? なんか好きなアーティストとかいないの?」
「そうですねぇ……アイドルの結城凛々ちゃんとか好きかな」
「あー、あの子か」
 良かった、なんかバレてないっぽいぞ。
 そのまま普通に先輩と話をしながら社内に入り、私は経理部、先輩は営業部へと別れたのであった。
 先輩と一緒にいるのに、珍しく平穏な朝だと思っていた。その時は。

 お昼休み。
 私は社内食堂で一人で昼食をとっていた。
 もともと一人で行動することが多いので、「一人で食べてて可哀想」みたいな論調、よく分からない。
 一人の方が気楽だと思うんだけどなあ……。
「ここ、座っていい?」
「え?」
 他にも席空いてますけど、と言いかけて、声の主が八王子先輩であることに気付いた。
 先輩は返事を聞かず私の隣に座る。
「昼休みにまで付きまとってくるの、やめていただけません?」
「付きまとうだなんて酷いなぁ。恋人と一緒にご飯食べたいって思うのは自然な感情でしょ」
 ぶっちゃけ私、この人と恋人になった実感、未だにないんだよなあ……。
 だってこの人、私の匂いが好きなだけであって私自身はどうでも良さそうだし……。
 隣で話しかけてくる先輩を聞き流しながら黙々とご飯を食べる。そのうち先輩も静かになった。
 やっとご飯食べ始めたのかな、とチラリと横目で見やると、先輩は音楽を聴いているようだった。
 へえ、私と同じ音楽プレーヤー使ってるんだ。イヤホンも同じだ。偶然ってあるものだなあ。
 …………いやいやいや、ちょっと待て、まさか――
 私が冷や汗をダラダラ流しながら先輩のほうに顔をギギギと錆びたネジのようにぎこちなく向けると、先輩はイヤホンをつけたままニマニマとこちらを見ていた。
「……薫子さんって、こういうの好きなの?」
 い、いいいいぃぃぃぃやぁぁぁぁぁあ!
「な、なに勝手に聴いて……え……?」
 あまりに最悪の展開すぎて現実を受け止めきれない私に、先輩は意地悪な笑みを浮かべたまま、誰にも聞こえないように耳元で囁く。
「今夜、空いてる?」
 ……ああ、これ、断れないやつだな。
 今夜起こる悲劇を思うと、目の前が真っ暗になった。

「――『俺はずっと、お前が欲しかったんだ。ずっとこうしたかった……』」
「ぁ、っ、あぁ……っ」
「『ここ、赤くなって……綺麗だな』」
「せ、せんぱっ、だめ、」
「『いっぱい印つけてやるからな……』」
「ぃや、あ……っ、」
 ……どういう状況かというと、あまり説明したくないのだが。
 その日の夜にまたホテルに連れ込まれたうえに、シチュエーションCDの台詞を先輩の声で再現されて攻められ、私は喘ぐしかなく……うう、屈辱……。
 八王子先輩はド変態なくせに声がいいのがムカつく……。
「薫子さんはやらしいね。毎日こんなの聴いて出勤してたんだ?」
 先輩は言葉で煽りながら、私の胸の谷間に顔を埋めている。
「……はァ……、胸の間は匂いが濃厚でいい……薫子さんってやっぱり優しい匂いがする」
「うぅ……っ」
 私には先輩に口答えする余裕が無い。腹の中の異物は、何度も身体を重ねているうちに、私の身体に馴染んできていた。先輩が身体を動かすたびに擦れて思わず声が漏れるので、動かないでほしい。
 チクリチクリと痛みが走ると思っていたら、先輩が身体中にキスマークをつけていた。
「ふふ、いっぱいついた」
 先輩は身体を引いて、私の身体に散らばった印を満足そうに眺めている。異物は入ったままだ。なんだか頭がぼうっとしてきた。
「可愛いよ、薫子さん」
 朦朧とした頭に、八王子先輩の優しい声音が地面に吸い込まれた雪のようにすうっと染み込む。先輩が私を抱き締めるものだから、また腹の中が擦れて、異物感がだんだん気持ちよくなってくる。思考も理性も溶けていくようだ。
「は……っあ……せんぱい……」
「また好きって言って。俺の声でイッちゃうって言ってみて」
「せんぱっ、すき、だいすき、わたし、もう――」
「いいよ……俺も、そろそろだから」
 私はもう逃げる気力もないのに、先輩は私の手に自分の指を絡めてベッドに縫い付ける。
 ――その先は、頭が真っ白になって、よく覚えていない。
 もちろん翌朝、私が顔を覆って後悔したのは言うまでもない。

〈続く〉
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