それは麻薬のような愛だった
そもそもの話、輿水は非常に合理的な女だ。
故に何故、同僚の女達が揃いも揃って天城に想いを募らせ熱い視線を送るのか全くもって理解ができなかった。
聞けば天城は入社当時から誰にアプローチされても毛ほども興味を示さず、それがどれほどの美女であっても同じことだという。
天城の部下になってからも、同じ仕事を請け負う仲間だというのに輿水に対しても会話は最低限。酷い時には「コレ」の一言で指示もなく書類を突きつけられていた。
そんな男に何をどうして期待を抱けるのか、まるで意味が分からなかった。
モテ過ぎて女に興味を無くしたか、はたまた心に決めた女性が居るのか。
そう思っていた輿水の予想は当たり、天城はある日突然結婚をした。その時の女性社員達の嘆きようは、今でも記憶に新しい。
「——輿水、聞いてるのか?」
思考を彼方に飛ばしていた輿水は、その言葉に我にかえった。
「あ、はい…聞いてます。こちらの書類を弁護士会館へ提出しに行けばいいんですね」
「ああ。よろしく頼むよ」
輿水は現在、入社時から昇進して今は法務部長に付いている。部長ともあり案件数もその難易度もかつての比ではなく忙しい。
だというのに物思いに耽ってしまったのは、渡された資料の中にかつての仕事の上司である天城伊澄の名前を見つけたからだろう。
「では、今から行ってきます」
輿水は頭を下げ、踵を返す。
デスクの上を片付け荷物をまとめ、ホワイトボードの自身の名前の横に外出と書き込み法務部を出た。
廊下を進みエレベーターホールに入る。高層階だけあってなかなかやってこない様子にやきもきしているとようやく到着の知らせが鳴った。
そしてそれに乗り込もうとした時、先に乗っていた人物に輿水は一瞬たじろいだ。
その男——天城伊澄は、輿水を一瞥すると、中央から少し左へ身を寄せた。
「天城さん、お疲れ様です」
「…ああ」
素っ気ない返事だが、これが天城の通常運転である。輿水は特に気にすることなくそのまま中へ入り、隣へ立った。
以前は同じ部署だったが、海外から戻ってきた天城は部署が変わり新しく立ち上げられた米国法務部へと席を置いており、輿水の在籍する部署とはフロアの階層が異なる。故にきちんと顔を合わすのはかれこれ3年ぶりだった。
相変わらず色気を無駄に振り撒く男だと内心鼻を鳴らしながら思っていると、ふと目の端に資料を持つ彼の左手の薬指に光る指輪が見えた。
そこで輿水は、ちょっとしたいたずら心を抱いてしまった。