運命の番は真実の愛の夢を見る
 願ってもない申し出のはずなのに、リーゼは頷くことができなかった。

 なに、これ……?

 お腹の中に氷を詰め込まれたようなおぞけが全身に広がる。先ほどまでなんともなかったニコラスの手が、急に気持ちの悪いものに変わった。鳥肌すら立ちそうな嫌悪感に、リーゼは思わず手を振り払っていた。

「触らないで」

 ぴしゃりと言い放ち、長椅子から立ち上がる。ニコラスは困惑の色を浮かべ、追いすがるようにリーゼに手を伸ばした。

「どうして? 君だってここから連れ出してほしいんだろう? だから僕の手に触れたんだよね。大丈夫、僕が守ってあげるから。怖がらなくていい」
「いや! あなたとは行けない!」

 掴まれた手に吐き気すら覚えて、リーゼは渾身の力で男を突き飛ばした。だがニコラスは少しよろめいただけで、反動でリーゼのほうが長椅子に倒れ込む。すぐに体勢を立て直した彼の瞳に危険な色がともった。

「なんだよ、その態度。意味がわからない。君は明らかに僕を誘っていただろう!?」

 男の手がドレスにかかり、またたく間に胸元を引き裂いた。

「やぁっ! なにをするの!?」
「僕と行きたくないなら、今だけ我慢すればいい。傷物にしてあげるよ。そうすれば初夜すら済ませていない結婚なんか白紙に戻る」

 とんでもないことを言って、ニコラスはあらわになった肌にべたべたと触る。卒倒しそうなほどリーゼの血の気が引いた。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
 しかし、ニコラスの手が柔らかな双丘にかかったところで、突如彼の身体が真横に吹っ飛ぶ。
 彼の背後にいつの間にか長身の男が立っていた。蹴り飛ばした長い脚を下ろしつつ、ごみを見るような目でニコラスを見下ろすのは、ここにいないはずのアルベルトだった。

「人の妻に手を出すなら、それなりの覚悟は出来ているんだろうね?」

 よろよろと立ち上がったニコラスは、アルベルトの放つ殺気に気づくや、ひいっと悲鳴を上げて部屋から飛び出していった。その後ろ姿をアルベルトは興味なさげに一瞥して、長椅子に横たわるリーゼに視線を移した。

「アルベルト、どうして。別邸にいたのではないの?」
「君は気づいていなかったようだけれど、僕はこの屋敷にずっといたよ。隠れて夜会に出て噂を流してみたんだ。ニコラス君はまんまと引っかかってくれたようだね」

 美しく口角を引き上げ、彼は笑う。瞳の奥に暗い炎が見えるようだった。リーゼはその場に凍りつく。

「ニコラス君と束の間の夢を見れて楽しかったかい? リーゼ」
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