歪んだ月が愛しくて2
立夏Side
「哀さん、あれが海ですか?」
「いいえ、あちらは湖でございます。本物を見るのは初めてですか?」
「初です。スゲー…湖ってあんなに綺麗なんですね」
「落ち着きましたら気分転換に散策に行かれては如何です?間近で見るとまた格別ですよ」
「うん、行ってみようかな…」
突然ですが、俺は今ある人の別荘にお邪魔している。しかも哀さんと一緒に。
でも別荘に来たのは観光のためでも、哀さんと密会するためでもなく、“療養”と言う名の現実逃避のためだった。
「但し、診察が終わった後でお願いします」
「診察って…、俺別にどこも悪くないんですけど」
「それを見て頂くために医師を呼んでおります。もう暫くご辛抱下さい」
「はーい…」
昨日、俺は会長の部屋から出たところを哀さんに見つかってしまい(正確には待ち伏せされて)言い訳する間もなくB県の山奥にあるこの別荘に連れて来られた。
着の身着の儘、財布も着替えの衣服も持たずに哀さんが運転する車でここまで連れて来られ、現在は別荘のベランダから身を乗り出して湖を眺めていた。
まあそんなことはどうでもいいとして、問題なのは哀さんが動いたと言う事実だ。
つまりそれは文月さんに体育祭の一件を知られたことを意味していた。
(どこまで知ってることやら…)
文月さんからのアクションはない。
哀さんも俺の身体を気遣うだけであの日のことについては一切触れて来なかった。
既に把握しているからこれ以上聞くことはないと言うことか、それとも変に気を遣ってあえて聞かないようにしているのか。
どちらにせよ、俺の口から真実を話さないことにはここから解放されることはないのだろう。
「でも何で態々別荘に医者を呼んだんですか?俺が病院に行けば済む話ですよね?」
「主人の配慮でございます」
「配慮?」
「……あそこは、立夏様にとって毒でしかありません。滅多なことがない限り赴くべき場所ではございません」
「、」
その言葉に一瞬呼吸が止まった。
「っ、し、てたんだ…」
「主人は何時如何なる時も立夏様のことを考えておりますから」
「じゃ、もしかして…、飛鳥院さんの別荘に連れて来たのも…」
「鏡ノ院が所有する別荘に立夏様を連れて行くべきではないと、主人が判断した結果でございます」
「………」
体育祭の一件をきっかけに、失われた記憶の一片が蘇った。
たった一部、されど一部だが、その記憶が“思い出したくない記憶”であるのはすぐに理解出来た。
きっと、文月さんは知ってたんだ。
俺の失われた記憶が“鏡ノ院家”に関係していることに。
だから文月さんは俺を“鏡ノ院家”から遠ざけるために、態々飛鳥院さんが所有する別荘に連れて来たとしたら…―――。
「お気に召しませんでしたか?」
文月さんも、哀さんも、俺が記憶の一部を取り戻したことには気付いていない。
本当のことを話したら驚くかな。
……いや、驚く前に心配されるか。
何だかんだ言って兄ちゃん並みに過保護だからな、この2人。