歪んだ月が愛しくて2



「………」



ギュッと。

指の動きを確かめるようにグローブを嵌めた左手を固く握る。



……余計なことは考えるな。
無駄な感情は捨ててしまえ。
それが一番楽で無難な生き方だ、―――って頭では分かっているのに。

沸々と湧き上がるどろりとした黒い感情が消えてくれない。
やり場のない感情が俺の中で膨張していく。

初めはこの感情を無理矢理にでも押さえ込もうとした。
己の中の醜い感情から目を背けて、何ともないふりをして彼女の言葉を受け入れて、自分には関係ないと言い聞かせて逃げるようにあの場から立ち去った。



でも、どうしても、先程の光景が瞼の裏にチラつく。



決してこの感情を悟られてはいけない。
だってもし気付かれてしまったら、俺はどんな顔をして会長と向き合えばいいのか分からない。
自覚したばかりなのに嫉妬とか…。
そんな資格、俺にはないのにさ。



(何やってんだろう、俺…)



そもそも何で彼女は俺に突っ掛かって来たのだろうか。
いや、俺のことが気に入らないからってのは分かるんだが、初対面の彼女に嫌われる理由が分からないし、会長にとってただの後輩若しくは仲の良い友達ポジションの俺を敵視する意味が分からない。
てか当事者のくせに何で会長は仲裁に入って来ねぇんだよ。
若干何か言い掛けてたっぽいけどそんなのは知らん。結局は好き勝手言わせてたんだから同罪だ。



「………何か、思い出したらムカついて来た」



大体何か雰囲気的にあの女の人が悪いみたいな感じになってるけど、俺からしたら会長の方が余程質が悪いと思う。
自分の容姿が人並み以上だと自覚しているくせに、それに引き寄せられる人間には見向きもせずに適当に遊んだ後そのまま放置してるからツケが回って来るのだ。



『別に男が好きなわけでも不能でもない。ただどうでもいい人間を抱いて欲を吐き出しても満たされないことに気付いただけだ』



どの口が言ってんだか…。
好きな人がいるならテメーの周りくらい綺麗にしとけっての。
それでよく誤解されたくないって言えたな。
まあ、相手が俺だったから適当に言っただけかもしれないけど。



………でも全てが嘘だとも思えない。



こんな気持ち、今まで生きて来た中で経験したことがなかった。
だからこそ自分でも対処の仕方が分からない。
昔はこんなことで簡単に感情を揺さぶられるような人間じゃなかったのにな。



「やれぇ立夏!ぶっ放せぇ!」

「立夏くん頑張って!」

「花房に負けるなよ」



賑やかなBGMと嬉々とした歓声の中、目の前にある的を見据えてゆっくりと瞬きをする。



こんな気持ちは消してしまおう。
どうせ実ることのない想いだ。
いつまでも俺の中で燻っていたってどうしようもない。
余計な感情は必要ない。
だって俺はいつかここから消えなければいけないのだから。
余計なものは全て置いていく。
不必要な感情は切り捨てればいい。
そうすればきっと誰も傷付かず済むはずだから。



次の瞬間、フロアに響き渡るほどの激しい衝撃音が鼓膜を揺らした。


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