あの日の第二ボタン

始まりの春

四月七日。
柔らかい日差しに包まれる教室。
春風に揺られるカーテン。
まだ居慣れない教室。

中学三年生になった宮田優人(ひろと)は、大きく息を吸って初めての教室に足を踏み入れた。
一ヶ月も使っていなかった教室の埃っぽい空気に優人はむせ返った。
自分の席を探し出し腰掛ける。

「卒業まで一年もないんだぜ。」

後ろから声がした。
優人が振り向くとそこには大島航希が気持ち悪いほどの笑顔で立っていた。
彼は優人と同じ野球部で、三年間クラスが同じである。優人は呆れながら言った。

「三年になったばっかなのに切ないこと言うんじゃねぇよ。」

 顔をしかめる優人に構わず、航希は続ける。

「卒業と言えば、女子は卒業式に好きな人の第二ボタンをもらうらしいぜ。学ランの一番心臓に近いボタン、ハートのボタンってことよ。今のうちから探しとかなきゃな。ヒロトは渡したい人いるの?」

「お、おれは……」

優人は脳内をくまなく探してみるが、思い当たる人が一人もいない。

「おれは、いないな。」

優人はボソッと呟く。
するとそこに、今井咲が会話に割り込んでくる。

「ひろの第二ボタンは私がもらってあげるわ。売れ残りは流石に可哀想すぎるからね。」

「バカにすんな。あんたにはあげねぇよ。」

からかわれて優人は声を荒げながら言った。
咲はどんなに怒っても女子に対して「お前」と言わない優人の優しさを感じ、(そういう優しい人には、もらってくれる人が絶対現れるよ)と心の中で語りかけながらも、口先ではからかい続けた。

「じゃあ、誰かあげたい人でもいるの?」

優人はついさっきのことを思い出し、ゲッとした表情で目を逸らした。

「いや、そ、それは……」

咲は呆れた様子だった。

「はぁ、ひろってヤツ、野球では先手必勝なのに、恋愛となると相当奥手なのね。」

「べ、別にいいだろっ。彼女なんて束の間の癒しにしかなんないし。」

優人は顔を赤らめて言い放った。
恋愛の話になると優人はいつもこうだった。
しかし、優人はずっと探していた。心が惹きつかれるような人を。

「……いないかな、運命の人……」

優人はポツリと呟き校庭を見下ろした。
去年よりも一階低くなった教室からの景色に違和感を覚えた。
校庭には誰のものともしれないボールがひとりでに転がっていた。
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