エリート外科医の蕩ける治療
「ここ渡ったとこ」

俊介の視線の先。病院と道路を挟んだ向かい側、押しボタン式の信号を渡ったところに、古びた看板が出ていた。『とみちゃんのお弁当屋さん』と年季の入った店舗。病院内の暗い食堂とは違い、陽の光に照らされて温かみのある外観だ。

毎日病院に出勤しているのに、ここにこんな弁当屋があることに気づかなかった。俊介は慣れた足取りで店内へ入っていく。そして馴れ馴れしく「杏子ちゃん」と呼びかけた。

「あ、佐々木先生、いらっしゃいま――せ……」

振り向いた杏子はエプロンに三角巾、そしてマスク。俺を認識するなり目を見開き、驚いたようだった。

「こちら、今月から外科に来た清島一真。ここの弁当最高に美味しいから紹介しようと思って」

「清島先生……」

「清島は大学の同級生なんだけど、昔から不愛想でさ、仲良くしてやってよ」

俊介が俺を紹介する。不愛想ってなんだよ、俊介の愛想が特別いいだけだろうに。じっと杏子を見ると、眉を下げて困った顔をする。どうしたらいいのかわからないようだ。残念ながら、俺もどうしたらいいのかわからない。いっそのこと、会わない方がよかったのではないかとすら思う。杏子はあの合コンの時と同じような愛想笑いを浮かべて、「えと……、ぜひ御贔屓に」と当たり障りのない返事をした。

ほら、やっぱり。会わない方がよかったんだ。あの時はアルコールも入っていたし、お互い正気じゃなかった。あの日のことは誰にも口外しない、杏子も俺も目的は果たせたのだから、それでお終いにするべきだろう。

そう思うのに――

「病院の食堂より断然杏子ちゃんの弁当のが美味いから。看護師たちもよく来てるみたいだし」

「今日も桜子さんたちが買いに来てくださいましたよ」

「そういえば前に彼女たちと合コンに行ったんだって? 今度俺とも飲みに行こうよ」

その言葉に咄嗟に俊介の肩を引いていた。

「ナンパするなよ。杏子は俺の患者。俊介と飲みに行くのはドクターストップだ」

言いつつ、それが自然と口から出てしまったことに自分自身が驚く。俊介が杏子を誘ったことが気に食わなくて……気に食わないとは? いや、杏子が俊介の誘いに嬉しそうにしたことも気に入らなくて……。
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