エリート外科医の蕩ける治療
理事長に電話がかかってきたのをちょうどいい息抜きとばかりにトイレに立った。なかなかどうして息が詰まる。座敷に戻るのが億劫だ。

そう思いながら歩いていると、女性の店員が男性に絡まれているのを目撃してしまった。こんなところでナンパとか、よくやるよと見て見ぬふりをしようと思ったのだが――。

「えーっと、それでお客様、ご用件はなんでしたでしょうか?」

聞き覚えのある声にはたと足が止まる。髪を団子にまとめた着物の店員が、引きつった笑顔で拳をプルプルとさせている。

嘘だろ、どうして杏子がここに――?

「おいおい、急に他人行儀になるなよ。俺は杏子のことを心配して聞いてやってんだろ」

「御心配にはおよびません。私にもイケメン彼氏がいますので」

明らかに嫌がっているのに引き下がらない男。杏子を見下したような物言いに、無性に腹が立つ。何かを深く考える間もなく、俺は杏子の腰をぐいっと引き寄せていた。

「どうも。杏子のイケメン彼氏です。俺の彼女に何か用でも?」

「せ、先生!」

「え、彼氏? 杏子の?」

「気安く名前を呼ばないでもらえるとありがたいんだが。で、何か用でしたか?」

「あ、えーっと、じゃあ俺はこれで」

バタバタと逃げていく男の後ろ姿に、二度と杏子に近づくなと呪いをかけるように睨んでおいた。

「咄嗟に嘘をついたけど、大丈夫だった? なんか困ってたように見えたから」

「あ、はい。ありがとうございました。こちらこそ、話を合わせてもらっちゃって……。あの……」

俺を見上げる杏子は、上目遣いで照れたように頬をピンクに染めた。その仕草があまりにも可愛くて、動揺してぱっと手を離す。

妙に心臓が騒がしい。ただ、それ以上に杏子に会えた喜びのほうが大きくて驚いた。罪悪感に苛まれながら杏子に会うことを躊躇っていたくせに、いざ会うとこんなにも嬉しいだなんて。

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