エリート外科医の蕩ける治療
イライラを紛らわすために仕事に没頭した。今日は緊急オペもあって疲れたけど、仕事をしていないとすぐに杏子のことを考えてしまいそうで余計にしんどい。そういえば朝から何も食べていない。せっかく寄った売店でも、何も買わずに戻ってしまったんだった。

何か飲むかと自販機までトボトボ歩く。人気のない廊下にガッコンという缶コーヒーが落ちる音が響く。と――。

「ちょっ、お前いつまで仕事してんの? 杏子ちゃんは?」

めちゃくちゃ焦った俊介が目の前に現れた。焦っている意味がわからない。俊介の口から杏子と出てくる意味もわからない。

「は? なんで杏子が出てくるんだよ?」

「いや、だって、夜飯行くんじゃねーの?」

「……俊介が行けばいいだろ」

「なんでだよ、一真と約束したって杏子ちゃん言ってたぞ」

確かに、俺は弁当屋を出るときに「夜飯行こう」と言った。でも時間も場所も決めていないし、なんならもうその話はないものになっているだろう。杏子は俊介が好きなのだから、俺と飯に行くべきではない。

「俊介はそれでいいの?」

「なにが?」

「杏子のこと好きなんだろ? 杏子もお前のことが好きだって言ってたじゃないか」

至って冷静に言ったはずだったが、少しばかり冷たい口調になっていたかもしれない。俊介はぽかんと口を開けたかと思うと、はっと気づいたかのように俺の肩をガシッと掴む。そしてガタガタと揺する。視界が揺れる、やめてくれ。

「ちょっと、何言ってるかわからないけど、もしかして一真も拗らせてるの? はー、杏子ちゃんといい一真といい、俺お前たちの親じゃないんですけどー」

「なんだよ、それ」

「あのなあ、言っとくけど俺は今日杏子ちゃんにフラレた。今頃お前からの連絡来なくて泣いてんじゃないか? 約束しといてすっぽかすとか、ないだろ」

「でも杏子は俊介のことが好きだって」

「言ったのかよ? お前に直接」

「いや、直接ではないけど」

「俺は今夜お前と飯行く約束してるって、直接聞いた。ちなみにお前の昼飯は俺が食っといてやった。感謝しろよ。ていうか、早く行けよ。杏子ちゃん泣かせたら杏子ちゃんファンの患者すべてを敵に回すぞ」

どうでもいい例えをした俊介に強制的に背中を押される形で、俺はロッカーに押し込まれる。杏子は待っているのか? 俺を?

スマホの画面に杏子の連絡先を表示させる。これで杏子が出なかったら、どうしてくれるんだ。俊介は責任取ってくれるんだろうな?

そんな言い訳をしつつ、杏子に電話かける。俺の心配をよそに、ワンコールでつながる。

『あ、先生。お仕事終わった?』

その明るい声に、心底ほっとした。杏子は素直に待っていてくれたのだ。そうだった、杏子とはそういう性格なんだった。素直でまっすくで、明るい。自分のひねくれた考えが恥ずかしくなるほどに。

「今どこ?」

『店にいますよ』

「わかった。すぐ行く」

ロッカーを乱暴に閉めて、弁当屋まで走った。
外はすっかり夜で、月が高く昇っていた。
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