かんざし日和 ――恋をするのに遅すぎることなんかない
第十話 「秋の訪れ」
木々の葉が、静かに色づきはじめていた。
志乃は、店を出るとスカーフの端を首元で整えた。レッドマートの前の銀杏並木が、黄色く染まり始めている。風は冷たくなりはじめていて、秋の匂いが濃くなっていた。
ふと、足元にカサリと落ちた紅葉を見つける。しゃがんで拾い上げ、てのひらでそっと眺めた。
そのとき。
「それ、いい色ですね」
落ち葉の向こうから、聞き慣れた声がした。
顔を上げると、瑞原英敏が、ゆっくりとこちらに歩いてくる。ジャケットの上に巻かれた深緑のマフラーが、秋の空気によく似合っていた。
「こんにちは。今日はいつもより、遅かったですね」
「授業が長引いて……それでも、ここに寄らないと週末が始まらない気がして」
志乃は、微笑んだ。
もう何度目になるだろう。仕事帰りに落ち合って、一緒に買い物をし、そのままどちらかの家で夕飯を囲む。言葉にしなくても、ふたりのあいだに“そういう日々”が定着していた。
「鮭がちょうどいい時期ですね」
志乃が言った。
「そろそろ、また南蛮漬けの季節ですか?」
「ええ。今日は舞茸も買ってみましょう。炊き込みご飯にも合いますよ」
「それは楽しみだ」
英敏の目元に、穏やかな笑みが灯る。
「……寒くなってきたので、シチューもいいなと思ってるんです。和風だしで仕立てたのが、好きで」
「じゃあ、明日は僕が挑戦してみましょうか。志乃さんのレシピ、真似して」
「真似だけじゃ、同じ味にはならないかもしれませんよ?」
冗談交じりの言葉に、ふたりで笑った。
その笑いは、あの春の日の出会いから、季節を重ねるたびに自然になった。
ふと志乃は、髪に挿していたかんざしに指を添えた。今日は、琥珀色の小さな木の実があしらわれた、秋らしい一本。
かつて、桜のかんざしから始まったふたりの会話。あれから季節は巡り、今はもう、“いつもそこにある”ものになっていた。
英敏が、そっと紅葉を一枚拾い、志乃に手渡す。
「よく似合う色だと思います」
「そうですか?」
志乃は、紅葉をかんざしの隣にあててみた。
「じゃあ、これも髪に挿してみようかしら」
「それも、きっと素敵です」
秋の夕暮れが、ふたりの背中をやわらかく照らしていた。
風は冷たいけれど、手を伸ばせば届く距離に、いつも“この人”がいる。
それが、今の志乃にとって、いちばんのあたたかさだった。
<END>
志乃は、店を出るとスカーフの端を首元で整えた。レッドマートの前の銀杏並木が、黄色く染まり始めている。風は冷たくなりはじめていて、秋の匂いが濃くなっていた。
ふと、足元にカサリと落ちた紅葉を見つける。しゃがんで拾い上げ、てのひらでそっと眺めた。
そのとき。
「それ、いい色ですね」
落ち葉の向こうから、聞き慣れた声がした。
顔を上げると、瑞原英敏が、ゆっくりとこちらに歩いてくる。ジャケットの上に巻かれた深緑のマフラーが、秋の空気によく似合っていた。
「こんにちは。今日はいつもより、遅かったですね」
「授業が長引いて……それでも、ここに寄らないと週末が始まらない気がして」
志乃は、微笑んだ。
もう何度目になるだろう。仕事帰りに落ち合って、一緒に買い物をし、そのままどちらかの家で夕飯を囲む。言葉にしなくても、ふたりのあいだに“そういう日々”が定着していた。
「鮭がちょうどいい時期ですね」
志乃が言った。
「そろそろ、また南蛮漬けの季節ですか?」
「ええ。今日は舞茸も買ってみましょう。炊き込みご飯にも合いますよ」
「それは楽しみだ」
英敏の目元に、穏やかな笑みが灯る。
「……寒くなってきたので、シチューもいいなと思ってるんです。和風だしで仕立てたのが、好きで」
「じゃあ、明日は僕が挑戦してみましょうか。志乃さんのレシピ、真似して」
「真似だけじゃ、同じ味にはならないかもしれませんよ?」
冗談交じりの言葉に、ふたりで笑った。
その笑いは、あの春の日の出会いから、季節を重ねるたびに自然になった。
ふと志乃は、髪に挿していたかんざしに指を添えた。今日は、琥珀色の小さな木の実があしらわれた、秋らしい一本。
かつて、桜のかんざしから始まったふたりの会話。あれから季節は巡り、今はもう、“いつもそこにある”ものになっていた。
英敏が、そっと紅葉を一枚拾い、志乃に手渡す。
「よく似合う色だと思います」
「そうですか?」
志乃は、紅葉をかんざしの隣にあててみた。
「じゃあ、これも髪に挿してみようかしら」
「それも、きっと素敵です」
秋の夕暮れが、ふたりの背中をやわらかく照らしていた。
風は冷たいけれど、手を伸ばせば届く距離に、いつも“この人”がいる。
それが、今の志乃にとって、いちばんのあたたかさだった。
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