かんざし日和 ――恋をするのに遅すぎることなんかない

第五話 「料理のアドバイス」

 ピッ、ピッ。バーコードを読み取りながら、志乃はかすかに微笑んだ。

「今日は……菜の花ですね。お好きなんですか?」

 男性客――あの人は、少し戸惑うように視線を下げた。

「ええ……いえ。あの……体に良いと聞いたので」

「苦味が春らしくて、私は好きですよ」
 自然と、言葉がこぼれる。
「さっと茹でて、おひたしにするのが簡単です。少しだけ辛子をきかせると、お酒にも合いますよ」

「……なるほど。お酒は……最近、控えてるんですが」
 そう言って、彼はわずかに笑った。

――こんなふうに返してくれるのね。

 以前は、どこかよそよそしい雰囲気を纏っていた。目も合わず、会話も最低限。でも最近は、声のトーンも柔らかくなった気がする。

 別の日。レジに並ぶ彼のかごの中に、鯖の切り身が見えた。

「味噌煮もいいですが、塩焼きなら、すだちを添えるとぐっと美味しくなりますよ」
 つい、そう声をかけていた。

「すだち……探してみます。あの、いつもありがとうございます」
 軽く頭を下げる姿に、志乃は心のどこかがほんのり温かくなるのを感じていた。

 またある日は、パプリカとキュウリが入ったかごを見て、思わず聞いた。

「ピクルスですか?」

「はい、最近それっぽいものを作ってみたくて……ネットを見ながら、ですが」
「刻んで、瓶に入れるだけなら……なんとかなるかなと思って」

「それなら、白ワインビネガーと蜂蜜があると、まろやかになりますよ」

「へえ……やっぱり、詳しいですね」

 その言葉に、志乃は少しだけ照れた。

――誰かのためじゃなく、自分のために始めた会話。でも、こうして言葉が返ってくるのは、思っていた以上に、うれしい。

 毎日の仕事の中で、ほんの数秒だけ、特別な時間が生まれていた。

 それが“何か”になるかはまだわからない。だけど、心の奥で何かが静かに芽吹いているのを、志乃は確かに感じていた。
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