警視正は彼女の心を逮捕する
「庭掃除しなくちゃ」

 住まわせてもらっている私は、もちろん下宿代を払っている。
 でも、師匠が朝ごはんを作ってくれている間に、庭掃除をするのが日課だ。
 自然が作り出す「美」のなかにいると、色彩に対して敏感になる気がするから。

 のそのそと起きだすと、オペラのアリアが聞こえてきた。
 
「……ん?」
 
 曲自体は毎朝、師匠が恋人のダニロを起こすために歌っているものだ。
 アリアは性別というより音域や声種で歌う人を区別するらしい。
 たしかバリトンのものだから、本来女性が歌うジャンルではないが、師匠は好んで歌っていた。
 それはいいのだけど。
 
「いつもより上手い?」
 
 師匠は素人耳にも、あんまりうまくない。
 ヴァイオリン修復職人であるダニロは、私よりもっと耳が肥えているはず。
 けれど、ダニロは『彼女の歌声を聞かないと、力が出ないのさ』と毎朝言っていた。

 いいなあ、ラブラブで。私も()とそんな風になりたい。
 考えてはいけないと、私の中の誰かが囁く。

 ……師匠の庭は、この時期どんな花が咲いていたっけ。おかしいな、思い出せない。
 
「外に出ればわかるか」
 
 庭掃除用の服に着替えようとした。
 
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