最悪な結婚のはずが、冷酷な旦那さまの愛妻欲が限界突破したようです
 お互いに干渉せず、割り切った結婚だとしても、一緒に暮らす以上は、多少は歩み寄りたい。

 歩を進めながらあまりにも静かすぎて違和感を抱く。人の気配がまったくない。

 寝てる? 自室?

 心臓が早鐘を打ち出し、嫌な汗が伝う。過去の記憶が頭を過ぎり、すぐに考え過ぎだと自分を叱責する。

 リビングの電気を点け、キッチンに食材を運ぼうと一歩踏み出したそのときだった。ソファの下――床の上で貴治さんが倒れているのを視界に捉え、荷物をその場に放り出し、慌てて駆け寄る。

「大丈夫ですか!?」

 ネクタイは外しているもののスーツ姿のまま、彼はぐったりと仰向けになっていた。どこか苦しそうに眉をひそめ、目は硬く閉じられている。

 思ったより大きな声が出てしまったからか、彼の目がうっすらと開き、こちらを見た。しかし、私はまったく安心できない。

「きゅ、救急車を」

「落ち着け、必要ない」

 かすれた声で制される。彼はゆっくりと上半身を起こした。顔を手で覆い、大きく息を吐く。朝見たときより顔色も悪く、どう見ても体調は悪そうだ。

「慌てすぎだろ」

 鬱陶しそうに呟かれ、ふと冷静になる。救急車を呼ぶほどの事態ではない。先走り過ぎたと自覚した次の瞬間、頬に熱いものが伝った。

 泣いていると気づいたのとほぼ同時に貴治さんの目がわずかに見開かれる。おかげですぐに視線を下げ、乱暴に手の甲で涙を拭った。
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