乙女解剖学
やわらかい舌は歯と歯の合間をぬって、奥に縮こまっていたあたしの舌を懐柔する。うまく息ができなくて、頭がぼうっとしてきた。
「……あのね、麗。こういうキスは、鼻で息をするんだよ」
「ふっ、う、」
「口で息したら、死んじゃうでしょ」
後ろにのけぞり、バランスを崩したあたしの腰を空蝉さんが支える。
唇が離れる。空蝉さんはこちらを覗き込みながら、何かを諦めたような顔をした。
「最近ね、思うんだ。おれたちがやってる馬鹿げたゲーム。おれはあなたを不幸に突き落として、おれに絶望してもらいたいわけだけど、このゲーム、おれが圧倒的に不利なんだよね」
「どうしてそう思うんですか」
「麗が感じられる不幸には底があるんだって」
「……」
「煙草の吸い方もわからなければ、キスすらもまともにしたことない。処女のくせに大人ぶって、おれのアソコを咥えて、恋に溺れたフリをして、それなのに結局どこか純情で。あなた、家庭環境良いでしょ。大切に育てられてきたんでしょ」
彼はシンクから持ってきた空き缶の上面に煙草を押し付けて火消しをする。そのまま、飲み口の中に吸い殻を落とした。
ふいに言われた家庭環境、なんて言葉にたじろいだ。煙草を吸わせたりキスをしたり、はたまた変なことを言ってみたり。今日の空蝉さんは何かおかしい。
親ガチャとか、実家コンプレックス、なんて言葉は聞いたことはある。だけどそれを自分の家族に当てはめて言おうとしたことはなかったし、そうすることは両親に対して失礼、とも思っていた。
とはいえ、うちは別に一般的な家庭だと思う。お金持ちだという自覚はないし。
「……うちは、たぶん、普通の家です。そんなふうに言われるほどじゃない」
「へえ、どんなところが?」
「お父さんは普通の公務員で、お母さんはピアノの先生だから、その、べつによくある仕事だし、だからそこまで裕福なわけじゃないし。たまに家族で旅行することはあるけど、べつに海外行って豪遊するわけでもないし、大学も奨学金を借りずに済んでいるのはありがたいけど、それくらいで、あたし自身、バイトだってしてるし」
そこまでで言うと、空蝉さんは2本目の煙草に火をつけた。煙を吐く。
「あまりにも定型だけど、それが故のことだよ。麗のそういうところ、ほんとうに嫌いかも」