ふたりだけのオーキッド・ラグーン
 「キットだとしても、わざわざ用意してくれたんですね。お花のお風呂に入れるだなんて想像もしたことなかったから、すごく嬉しいです。瑠樹さん、ありがとう」
 「どういたしまして。では奥様。ご褒美にキスをしていただけますか?」

 背中を流すとか髪を洗うとかいわれて頑なに拒絶した真紘だったが、このキスのおねだりに対してそんな気持ちは湧いてこない。
 今朝は出勤前に花びら越しのキスをした。あれがまどろっこしかったというのは、嘘ではない。

 隣をみれば、濡れ髪の瑠樹がいる。業務のときとは違うリラックスしたプライベートの顔。オンのときにはない、ありのままの素の姿の夫である。
 彼も深く身をバスタブに沈めて、子供のように花だけの湯面を楽しんでいた。

 なんだろう、隣の夫がすごく身近に感じてしまう。

 ぎゅうぎゅうの花のすき間から、そっと真紘は手を伸ばした。それは、すぐに夫の頬に届く。
 しっかり真尋が夫の頬に手を添えれば、瑠樹は嬉しそうな笑みを浮かべて妻を見つめ返す。真紘は目を閉じた。

 静かに湯面で、花が揺れる。瑠樹の動きに合わせて、さざ波が立った。
 浮かぶ蘭の花をすり抜けて、柔らかく瑠樹は真紘にくちづけた。今度は花びらの邪魔はない。リップ・オン・リップのキスだ。
 朝よりももっと温かい唇を感じると、自分はシンガポールまでやってきたのだと真紘は実感できた。

 「真紘、これからもよろしくな」
 「はい。私こそ、よろしくお願いいたします」

 たぷたぷと、バスタブの湯が揺れる。ふるふると、湯面の花も揺れる。

 唇は一度離れても、またすぐにお互いを求める。何度も何度も、花の中でキスをする。
 シンガポールでのふたりの生活は、まだまだはじまったばかりであった。



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