一途な消防士は、初恋の妻を激愛で包み込む
 思い出したくないことが脳裏に過ぎり、包丁を握る手が震えた。

 ーー駄目だ。
 香月先輩に手を差し伸べてもらって、あの子とは決別するって決めたのに……。

 これでは、いつまで経っても……。
 私は前に進めない。

「星奈ちゃん?」
「……すみません。妹のことを、思い出してしまって……」
「香月から、聞いているわ。大変な思いをしたって……」
「……はい」

 香月先輩はご家族に、私の事情を説明してくれたようだ。
 話す手間が省けたとほっとすると同時に、これから何を言われるんだろうと言う恐怖が押し寄せる。
 私は緊張を隠しきれない様子で、視線を下に落とす。

「でもね? 無理に、忘れる必要はないの。ふとした瞬間に妹さんのことを思い出すのは、仕方ないこと。ゆっくり時間をかけて、楽しい思い出に塗り替えて行けばいいのよ」
「楽しい……」
「ええ。申し訳無さそうな顔をされると、私達も苦しいわ。すぐには無理かもしれないけれど……。考えてみて」
「は、い……」

 ーーだが、彼女の口から語られたのは、身構える必要のないアドバイスだった。
 私がぎこちなく、それを受け入れれば。
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