歪んだ月が愛しくて3



未空Side





始めは母親と呼べる人がいた。
でも母親と呼べる人は俺を我が子だと認めてはくれなかった。



俺の瞳は生まれつき水色だった。
それは突然変異でも隔世遺伝でも何でもなくて、当時結婚を控えていた母親が外国人に襲われてその時に身籠ってしまったのが俺だったのだ。
でも母親はその事実を隠したまま別の男と結婚した。母親もまさかその一度だけの行為で俺を身籠るとは思ってもいなかったのだろう。結婚後、旦那となった男との間に子供を授かったんだと思いきや生まれて来た子供は水色の目をしていたのだ。母親からしたら幸せからどん底へと突き落とされた気分だっただろう。
当然旦那は激怒。すぐに離婚することになり母親と生まれて間もない俺は呆気なく捨てられた…、と酔っ払った母親が自嘲気味に愚痴っていた。



「ちょっと何寝てんのよ。部屋の掃除は終わったんでしょうね?」



その言葉にただ頷くことしか出来なかった。
当時の俺は本来保育園の年中くらいの歳であったにも関わらず保育園はおろかまともな教育環境になかったため簡単な言葉しか話すことが出来なかった。それでも母親の言葉を理解することは出来たので会話は成立しなくても特段困ることはなかった。母親としてもその方が都合良かったんだと思う。変に言葉を覚えて生意気に育つより子供らしく従順に親の言葉に従う子供の方が扱い易くて便利だったことだろう。



「今日はお客さんが来るからアンタはどっか行っててね。そうそう、分かってると思うけど知らない人に声を掛けられても何も話しちゃダメよ。そんなことしたらアンタはもうお母さんと暮らせないんだからね」

「う、ん…」



「はい、今日の晩ご飯」と渡された食パンが入った袋。
母親の友人やお客さんが来る時はいつもそれを持って6畳一間のボロアパートを出て行かなければならない。雨の中でも台風が近付いていようとも家に戻ることは許されなかった。
何で家にいちゃいけないの?と一度だけ母親に聞いたことがあった。



「これはお母さんのお仕事なの。お仕事をしないとお金をもらえないからアンタにご飯を食べさせてやることも出来ない。だからお母さんはアンタのために頑張ってお仕事してるのよ」



だから母親の言い付けを破ることはしなかった。
子供ながらに自分のために頑張ってくれている母親の邪魔をしたくない一心だったんだと思う。
そんな俺にとって母親の存在は絶対的なものだった。
一般的な「安心感を与えてくれる人」「食事を作ってくれる人」「一緒に遊んでくれる人」ではなかったけど、「自分のために頑張ってくれている人」に依存せずにはいられなかったんだと思う。
だからどんな無茶な要求にも応えようと頑張った。部屋の掃除も、洗濯も、お酒や食べ物の調達も俺に出来ることなら何でもやった。そうすれば母親が喜んでくれる、褒めてくれると思っていたから。でも5歳にも満たない子供に出来ることなんて高が知れていて部屋の掃除も洗濯も満足に熟すことが出来ず、お酒や食べ物の調達もお金がないから万引きするしかなくて、成功する時もあれば失敗して大の大人にボコボコにされたり警察に通報されて母親を呼び出したりすることもあった。でも結局は警察に通報されて母親が店に謝って許してもらった後「何見つかってんだよ!このクズ!ノロマ!………何よその目は?そんな忌々しい目であたしを見るんじゃないわよ!」と罵られて殴られるのがオチだった。
それでも俺には母親の存在が全てだった。母親の言うことに従って、暴力に耐えて…。いや、そもそも「耐える」って感覚ではなかったと思う。ただただ母親の存在に依存して、いつか笑顔で俺の名前を呼んでくれることを夢見ていた。



「アンタなんて生まれて来なければ良かったのよ!」



本当にただそれだけだったのに…。

でもそんな生活も長くは続かなかった。



ある日、耳障りな音を鳴り響かせながら何人もの大人が家の中に入って来て母親をどこかに連れて行ってしまった。
部屋に取り残された俺に女の人が声を掛けた。



「もう大丈夫だよ。安心して」



何が?正直安心感より不信感しかなかった。だって自分の絶対的存在である母親を目の前で連れて行かれたのだから。母親が連れて行かれた理由も、連れて行った大人達の正体も分からぬまま俺から母親を奪った大人達は俺をある施設へと連れて行った。それが月森園長の経営するあの児童養護施設だった。
後日、母親を連れて行った大人達が私服の警察官だと知らされた。それから児童相談所の職員が俺を保護し、色々な調査や手続きを経て児童養護施設に預けられたことが分かった。



「この子は育児放棄と虐待を受けていたようで先日母親が逮捕されました。食事は最低限与えられていたようですが栄養失調だった上に体重も最低ラインです。また教育環境は劣悪であまり言葉を喋ることが出来ません。言葉の発達は2歳児程度だと思われます。ただこちらの言葉は年相応に理解しているようです」

「そうですか…。事前に送ってもらった資料に目を通しましたがここまでとは。しかもこの子は…―――」



俺を引き渡す際、児童相談所の職員と園長先生が何やら難しい顔をして話し込んでいた。
今となってはどんな話をしていたのかよく思い出せないけど、俺を見る園長先生の目がお日様のように穏やかで酷く居心地が悪かったことだけは覚えている。



「今日からここが貴方の家ですよ」



そんな目をされたのは生まれて初めてだった。
母親は常に怒るか真顔かのどちらかで笑った顔なんて殆ど見たことがない。万引きがバレた時も俺をボコボコにする大人は当然怒ってるし、警察に通報して母親を呼び出す大人は母親には説教するもいつも憐れんだ目で俺を見ていた。それしか知らない俺にとって園長先生の存在は異質で理解し難いものだった。だから勝手に苦手意識を持ってなるべく関わらないようにと園長先生のことを避けていた。
避けていたのは何も園長先生だけではない。この施設で生活する子供・職員ほぼ全員と言っても過言ではないかもしれない。
人より発達が遅れていた俺は誰かと言葉を交わすことを無意識に避けていて、また母親を連れて行った大人と同じ大人である職員達に心を開くことが出来ず気付いたら施設の中で孤立していた。



それが何年も続いたある日の昼下がり。
当時小学校低学年でありながら既に不登校だった俺は施設内のお気に入りの場所でボケッと空を見上げながらもう顔も名前も朧げな母親のことを待ち続けていた。いつか自分を迎えに来てくれると信じて…。でも何年待っても母親は迎えに来てくれなかった。


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