歪んだ月が愛しくて3
そんな時、園長先生が誰かと話してる声を聞いてしまった。
「お久しぶりです、シスター」
「これこれは神代社長ではありませんか。ご無沙汰しております」
「最近は私も会長も中々顔出せずにすいません。お変わりありませんでしたか?」
「ええ、私共は何ら変わりありませんよ。神代会長やご子息様方もお元気にお過ごしですか?」
「元気過ぎるくらいですよ。今日は息子も一緒なんですがここに着いて早々にうちの精鋭達を撒いていましたから」
「それは何よりでございますね。それで本日のご用件は?」
「ただの視察ですよ。そんな警戒なさらないで下さい。そう言えば以前シスターが気に掛けていた子…、あの子はその後どうなりましたか?」
「ああ、仙堂くんのことですね」
俺?
「彼の親御さんは…―――」
「いえ、それはまだ―――」
この施設には定期的に視察が入る。黒いスーツを身に纏いサングラスを掛けた如何に怪しそうな大人達がシスターや職員達への聞き取り調査や子供達の生活の様子を実際にその目で見てどこかに報告しているようだ。でも今日はいつもの黒服と違って紺色のお洒落なスーツを優雅に着こなし清潔感のある黒髪をオールバックにした三十代くらいの男の人がやって来て何やら親しげな様子で園長先生と話し込んでいた。それだけでも首を傾げる光景なのにその会話の中に自分の名前が挙がったことで無意識に身体が強張り物陰に隠れて息を潜めた。
引き取り手がどうとか聞こえたけど、もしかして母親が迎えに来てくれたのだろうか?それとも他の誰かが…。
俺はそれ以上2人の話を聞きたくなくてギュッと膝を抱えて身体を丸めた。吐き出したくても吐き出せないこの感情を押し殺すかのように全ての音をシャットアウトした。
それからどのくらい時間が経っただろう。気付いた時には既に園長先生と男の人の姿はどこにもなかった。その事実に身体の力が抜けた。あの話の続きが気にならないと言えば嘘になる。でもやっぱりまだ何も聞きたくなくて2人の姿がないことにホッと胸を撫で下ろした、次の瞬間。
「―――そこで何してる?」
安心しきっていた俺の頭上からそんな声が降って来た。
驚いた。でもそれは突然声を掛けられたからじゃない。
反射的に見上げた先にあった綺麗な顔に思わず見入ってしまったからだ。
金髪なんて初めて見た。しかも相手は自分と然程変わらない子供なのに大人顔負けのオーラを纏っていた。でも不思議と怖くなかった。それどころか人と関わることを極端に避けていた俺が目の前にいる少年から目を逸らすことが出来なくて、気付けば問われるがまま口を開いていた。
「……ま、てるの」
「待ってる?誰を?」
誰?
そんなの…、
「だれ、だろう…」
分からない。
顔も名前も分からない母親のことを何て説明すればいいんだろう。
お母さん?俺を産んでくれた人?
「分からない奴を待ってるのか?」
言い淀む俺を見て少年は更に言葉を続けた。
いつもとは違う反応に困惑しながら少年を見上げた。
だって俺の周りにいる大人はそんな直接的な言葉を使わない。「大丈夫?」とか「そうなんだ…」とか言って空気を読んだつもりになって直接的な言葉を避けてはいつも腫れ物のように俺を扱う。子供に関しては悪意ある悪口しか言わないから無視してるけど。
だから俺の“普通”から掛け離れた目の前の少年が物珍しくてつい口が緩んだのかもしれない。
「……うん。きっと、むかえにきて、くれるから」
「誰かにそう言われたのか?」
「ぼくを、ここにつれてきた、ひとが…」
「………」
『いつか君が大きくなってお母さんが罪を償うことが出来たら…、その時はきっとまた一緒に暮らすことが出来るわ』
この施設に来る前、児童相談所の人がそう言ってた。
その言葉を100パーセント信じたわけじゃないけど、誰にも頼れず誰にも心を開けない俺とってその言葉は唯一の心の拠り所だった。
母親が迎えに来てくれるから頑張れる。だから今は独りでも大丈夫。だっていつかまた一緒に…―――、
「だったら、それまで俺に付き合え」
「………え?」
「その誰だか分かんねぇ奴がお前を迎えに来るまで俺の相手をしろって言ってんだよ、暇人」
「ひま、じん…。それってぼく…?」
「お前以外に誰がいんだよ。こんなところに1人でいるなんて相当暇を持て余してんだな」
少年の言葉に耳を疑った。
信じられないと言わんばかりの顔で見上げる俺に少年は「お前、名前は?」と平然とした様子で尋ねた。
「せ、せんどー、だけど…」
「せんどー?何か名字みたいな名前だな」
「みょーじ?それしか、なまえ、ない」
俺の名前は「せんどー」。ここではそう呼ばれている。
普通だったらもう一つ名前があるらしいけど、母親には「アンタ」としか呼ばれたことがないから他の名前は分からない。そもそも「せんどー」が自分の名前だと言うこともこの施設に連れて来られて初めて知ったくらいだ。
そんな俺の言葉に少年はどうでもよさそうに「へぇ…」とだけ答えた。
そして自分のことを…。
「俺のことは尊って呼べ。それ以外は受け付けない」
「み、こと…?」
綺麗な名前だと思った。
耳に付いて離れない単語を噛み締めるようかのように気付けばその名前を呼んでいた。