歪んだ月が愛しくて3
「あ、りがとう…。ぼくのこと、しんじてくれて…」
いつものお気に入りの場所で改めて尊にお礼を言った。
「別に。大したことはしてねぇよ」
「でも…、なんでぼくのことしんじてくれたの?みんなぼくがはんにんだってうたがってたのに」
「お前がここに来てもう3年だろう?今までずっと無視して来たくだらねぇ嫌がらせを今更相手にするとは思えなかったからな」
「それだけ?」
「それとお前の目」
「め?」
「嘘吐いてるようには見えなかった。ただ言葉が単調だから誤解され易くて、でもそれを言い負かすだけの言葉を知らない。だからお前の代わりに俺が弁明した…、ただそれだけのことだ」
俺が気に病まないように言葉を選んでくれているのだろうか。
初対面の時に感じた横柄な口調は変わらないが、時が経つに連れてその横柄な口調の中に尊なりの優しさを感じるようになった。
「このめを、しんじてくれるひとがいるとはおもわなかった…」
「何で?」
「このめ…、ずっときらいだっていわれてたから。だから、なまえでよんでもらったことも、だきしめてもらったこともない…」
「……そんな酷いことを言う奴をお前はずっと待ってるのか?」
だって児童相談所の人がそう言ってたから。俺が大きくなったら母親が迎えに来てくれるって。そうしたらまた一緒に暮らすことが出来るって。
「そんな奴とこれから先もずっと一緒にいたいのか?」
ずっと一緒に…、そう思っていたはずなのにどうしてだろう。いつの間にか自分を生んでくれた母親よりも尊の存在の方が俺の中で大きくなっていた。
だから首を振った。違うって、俺が一緒にいたいのは母親じゃないって、そう言いたかった。
でもその瞬間、かつての母親の言葉が脳裏に過った。
『アンタなんて生まれて来なければ良かったのよ!』
もし尊に同じことを言われたら…。
俺の目を綺麗だと言ってくれたその口で否定されたら…、そう思うと何も言葉が出て来なかった。
怖かった。母親に罵られることよりも殴られるよりも何十倍も怖くて、初めてこの人を失いたくないと思った。母親の時とは違う。この恐怖はどこから来るものなんだろうか。
そんなことを考えているとボロボロと涙が溢れて来た。その姿に尊はギョッと目を瞠った。
「悪い。お前の大切なもんを否定して…」
違う。違うよ。
俺の大切なものは俺を嫌っていた人じゃない。俺を捨てたあの人なんかじゃない。そう言って尊の言葉を否定したかったのに涙が溢れるばかりで口が言うことを聞いてくれなかった。
「お前をここに連れて来たのは間違いだったのかもな…」
「え?」
「お前はこんなところにいるべき人間じゃない。お前のような無垢な存在は何れ悪どい大人の目に留まり良いように利用されるのがオチだ。明日ジジイに掛け合ってみる。アイツならきっと…」
頭の中が真っ白になった。
拒絶された恐怖から何も考えることが出来ず気付けばその場から逃げ出していた。
「おい!?」
突然走り出した俺を不審に思った尊がすぐさま後を追って走って来た。身体が小さかった俺は当然物の数秒で捕まった。
「待てっ!」
「っ、いやだ!はなせ!」
「人の話を聞けこのバカ!」
「なんでそういうこというんだよ!せっかくみことにあえたのに…っ、やっとぼくをしんじてくれるひとができたのに!」
こんなにも声を荒げたのは初めてかもしれない。
今まではどんなに酷い扱いを受けても、どんなに理不尽な目に遭っても自分が悪いんだからとすんなり受け入れることが出来た。自分が我慢すればいいだけ。悪意ある陰口や憐れみの眼差しは無視すればいいだけ。そんな不変で退屈な環境の中で生きて来たはずなのに、あの日尊が俺の前に現れたその瞬間から俺の日常は大きく変わってしまった。
だって諦めたくないと思ったんだ。この太陽だけは死んでも離したくないって。
それなのにやってることは無茶苦茶だ。今は自分から太陽を遠ざけてまたあの頃のように何もかも諦めた日常に戻ろうとしてるなんて。戻りたくない。ずっと太陽のような尊の存在を追い掛けていたい。でもこの場所を離れてもう二度と尊に会えなくなったら…、そんな目に見えない恐怖が俺の中で増幅していく。
「はなせってば!」
「ゔっ、」
力任せに尊の身体を突き飛ばすと尊は壁にぶつかって動かなくなってしまった。
「ご、ごめ…っ」
咄嗟に尊に駆け寄って安否を確認する。
「み、こと…?ごめんみこと!だいじょー…」
そう言って尊に手を伸ばした時、ガシッと強い力で腕を掴まれた。
でも尊は逃さんとばかりに俺の腕を掴んだくせに一向に目を合わせようとしない。
「……俺は、太陽なんかじゃない」
覇気のない声だった。
いつもの堂々とした声色とは全く違う。
「み、こと…?」
「ずっと退屈だった。変わり映えのない毎日に嫌気が差して、何でもいいから退屈凌ぎになるものはないかと思ってここに来た。だから最初はお前じゃなくても良かったんだ。俺に刺激を与えてくれる奴なら誰でも…」
「ひまじん、だったから…」
フルフルと左右に首を振る、尊。
「誰でもいいと思ってた。でも本当は誰でもいいわけじゃなくて、相手がお前だったから気付くことが出来たんだと思う。不変で退屈で変わり映えのない日常を嫌っていながら俺は無関心を決め込むことで生温い退屈な日常に甘えていたんだ」
甘え…?尊から逃げて今までと同じ生活に戻ろうとしてる俺も甘えてたってこと?
逃げちゃいけない。過去に囚われたままじゃいけないって言うなら俺は…―――。
「今はまだジジイ達のような力や処世術も持ち合わせちゃいない。それでも…、それでも俺に出来ることは何だろうかと考えるようになった。……お前のせいだ」
尊の黒曜石が真っ直ぐに俺を見つめる。
「気持ち悪い」「化け物」と誰にも受け入れてもらえなかった俺に平気で手を伸ばし、頬に伝う涙の痕を尊の指先が拭った。
さっきまでは目を合わせようとしなかったくせに今ではその黒曜石に俺の姿だけが映し出されている。やっぱり綺麗だ。キラキラと輝き金色も、全ての飲み込んでしまうような黒も。
そんな思考を読み取ったかのように尊は俺を見てフッと口角を上げた。それは嘲笑うような笑みではなく俺の目を見て綺麗だと言ってくれた時と同じ顔をしていた。