歪んだ月が愛しくて3
「あ、たしが、あの子をあいしてる…?」
俺の言葉に葉桜先生は信じられないと言わんばかりの顔を見せた。
でも自覚がないとは言わせない。葉桜先生の言動は一見未空を嫌っているように思えるが、未空の見てないところで自分と未空の間に何かあると俺に印象付けさせて未空の力になるように仕向けたり、俺にお土産を渡すふりをして本当は未空にあげるために用意したものだったり。一つの仮説に辿り着いた時、ただの嫌がらせだと思っていた葉桜先生の言動が全て別の意味を持って見えて来た。
「先生は自分の存在が未空にどう言う影響を及ぼすのか自覚してますよね。そうじゃなかったら聖学に赴任したその日に未空の目を盗んで会長と接触するはずがない」
「そ、んなんじゃないわよ。あれは尊の護衛として一刻も早く尊と合流したくて…」
「それだけじゃありませんよ。俺が近衛隊の人間にセクハラされた時も、先生は最初隠れて様子を伺ってたくせにあの男が未空を標的に攻撃した途端すぐに助けに来たじゃないですか。許せなかったんでしょう、何も知らないくせに未空を侮辱するあの男が」
「あら、それを言ったらあたしの方が未空坊ちゃんを傷付けてると思うけど?」
「そう。だから未空は先生のことを嫌ってる…。先生自身も今更未空を気遣ったところで未空がそれを素直に受け取らないことを分かってるからこんな紛らわしいことをしてるんでしょう?」
「………」
嫌いだけど好き。好きだけど嫌い。
そんな複雑な心境が今の葉桜先生を作ってしまった。
きっと先生は後悔してると思う。未空との間に深くて険しい溝を作ってしまったことに。
「……不思議なことにね、歳を重ねていくと子供の頃には分からなかったことが分かって来るものなの。あの時はああするべきだった。あの時はああ言うべきだった。そんな風に気付きたくもなかったことを嫌でも自覚してしまうの」
「後悔、してるんですか…?」
「後悔…。そうね、後悔してるわ。あたしの方が年上なのに感情のコントロールもままならず随分酷いことを言ってしまったわ。あの子には本当に申し訳ないと思ってる。……でもね、それは今だから気付けたことなの。あの子を傷付けてしまった当時のあたしは常に尊の傍を離れようとしないオドオドするあの子を見る度にイライラして仕方なかったから。まるで昔の自分を見てるみたいでね…。まあ当然よね、半分は血が繋がってるんだから」
そう言って俺の顔を見て自嘲気味に口元を緩めた、葉桜先生。
そんな彼女は俺からの追及を躱そうと止めていた足を再び動かして自分から口を開いた。
「母親が同じなの。でもあたしはあの子が生まれる何年も前にあの施設の前に置き去りにされたからあたしが姉だってことをあの子は知らない。知ってるのはシスターとあたしを拾って下さった御大様と近衛隊の総隊長、そして旦那様と奥様と尊だけ」
「……いつ気付いたんですか?未空が自分の弟だって」
「あの子が神代家の養子としてこの家に入った後よ。あの子の教育係兼護衛に抜擢されて初めて顔を合わせた時、なーんかあれって思って調べてみたら案の定。でも御大様と総隊長だけは初めから分かってたんじゃないかしら。確認したことはないけど、だからあたしをあの子の一番近くに置いた。血の繋がった本当の姉弟だからあたしが一番の適任者だと思ったんでしょうね。でもあたしはそんな御大様の期待を裏切った。あの子を神代の人間として使えるように教育しなければいけない立場だったにも関わらずあたしはあの子に自分の苛立ちをぶつけてばかりで何一つまともなことを教えてあげられなかった。その結果あの子の心に深い傷を負わせてしまった…。でも自分ではどうすることも出来なかった。昔の自分を見ているようなあの目を見る度に目の前のあの子を傷付けてやりたくて、目を醒まさせてやりたくて…。もう誰かに止めてもらうまで自分でも自分を制御することが出来なかったのっ」
後悔…、と言うより懺悔に近いのかもしれない。
懺悔して過去の自分をなかったことにしたい。出来ることなら過去に戻ってやり直したいのかもしれない。でもそんなことは出来ないって分かっているからこそ後悔している。正に負のループだ。
ああ、どうしよう。こんな風に他人の過去に介入する気なんてなかったのに。これじゃあ余計な首突っ込んじゃうよ。
「そのこと、未空には伝えないんですか?」
「……ええ。今更そんなこと話したって仕方ないでしょう」
仕方ない?本当に?
だとしたら何でそんな苦しそうな顔で笑ってるんだろう。
話しても無意味だって諦めてるならもっと清々した顔するもんじゃないの?諦められないから苦しいんだろう?
「あの子を傷付けた時、本当は神代を去るつもりでいたの。もう二度とあの子の前に姿を見せちゃいけない。それがあたしに出来る唯一の償いだと思ったから。でも御大様に止められてあの子と距離を置くために海外出張の多い旦那様と奥様専属の護衛要員として海外のあちこちを転々としてたってわけ。そんなあたしがまたあの子の傍に身を置くことになるなんて因果応報って奴かしらね」
「……これが最後のチャンスなんじゃないですか?」
「チャンス?」
「まもちゃんが言ってました。人生のターニングポイントはそんじょそこらに転がってるわけじゃないって。未空や先生がまたこうして顔合わせることになってそれが2人にとって良いことなのか悪いことなのか、それが誰かの意図によるものなのかどうか、それは俺には分かりません。でも過去の自分の行いを本当に後悔しているならそれを償うチャンスは今しかないと思います。未空の前から消えることが唯一の償い?そんなものは償いでも何でもない、ただの自己満足じゃないですか。先生は自分のやったことから逃げたんです。未空に八つ当たりする惨めな自分から…、自分を生んだ母親と同じことをしている自分に気付いて本当のことが言えなかっただけでしょう」
「っ、」
「本当に償いたいんだったら未空から逃げちゃダメです。仕方ないって自分に言い聞かせて諦めるくらいなら正面からぶつかってみて下さい。自分の過ちを、過去を、100パーセントは無理でも少しずつでいいから未空の心に歩み寄ってあげて。それが未空と…、先生のためです」
いつの間にか本邸の近くまで戻って来ていたことに今になってやっと気が付いた。
未空といい葉桜先生といい随分長い時間話し込んでいたみたいだ。ただ実際の時間を確認したわけじゃないから体内時計的に夕食を摂ってから1時間くらい経ったかなって感覚だ。
短いようで凝縮された2人の過去は結構な衝撃と共にやって来た。心の準備をしてなかったわけじゃない。未空と葉桜先生の間には何かあると確信した時からこう言う結末をある程度は予測していたのかもしれない。でもいざ本人達の口から聞かされると平常心を保っていたはずの心が強く揺さぶられた。2人の話を聞いて何とも思わないわけがない。ただ深入りしないようにセーブしていただけ。だって俺にはもう時間がないから。きっと俺には何も出来ない。だったら余計な口を挟まず淡々と話を聞いていればいい。でも…―――、
「諦めなければ、変わるのかな…」
こんな弱々しい姿を見せられて揺さぶられないわけがない。
余計なことだって分かっているのに勝手に口が動いてしまう。
「少なくとも俺は変わって欲しいって思ってます。だから俺に信じさせて下さい、これからの2人のことを…」
少しずつでいい。
きっと今の未空なら多少時間は掛かってもいつか受け入れることが出来るはずだから。
「やっぱり立夏くんは素敵な人ね」
そう言って晴々とした表情で別邸の方を見つめる葉桜先生の横顔が未空によく似ていた。