歪んだ月が愛しくて3



「お話し中のところ大変失礼致します!」



その声に反射的に身体を強張らせ身構えると、先程までは誰もいなかったはずの場所に梅花さんが両手を結んで姿勢良く立っていて驚いた。
気配がなかった。いくら葉桜先生と話し込んでいたとは言え足音も扉の開閉音も全く聞こえなかった。



(この人、ただのメイドじゃないな…)



「立夏様に何か?」



そう問い掛けた葉桜先生は梅花さんの気配に気付いていたのだろうか。



「はいです!大旦那様がお呼びでございます!本邸に戻られましたら“藤の間”に来て欲しいとのことです!」



このタイミングで呼ぶってことは未空に関する話がしたいのだろう。
話の内容も大体は見当が付いているため梅花さんの言葉に素直に従うことにした。



中庭で葉桜先生と別れた後、俺は梅花さんの案内で“藤の間”までやって来た。そこには小さなバーカウンターの椅子に座って酒の入ったグラスを優雅に傾けるまもちゃんが俺を待っていた。



「ごめんね。待った?」

「何、仕事終わりの一杯を楽しんでいたところじゃ。儂の方こそこんな時間に呼び出してすまなかったの」

「まだ寝るには早い時間だよ。それで話って何?」



そう尋ねるとまもちゃんは自分が座ってる隣の椅子を引いて俺に隣に座るように促した。
長居する気はなかったがこれは隣に座るまで本題に入ってくれそうにないなと思い観念して少し座面の高い椅子に飛び乗った。
その時、ブランデーのキツい香りが鼻腔を通り抜けた。



「リリーに来てもらったのは改めて礼をしたかったからじゃ。未空のことで本当に世話になったの」



そんなことだろうと思った。まもちゃんはずっと未空のことを気にしてたから。それこそ未空を養子として迎え入れた日からずっと未空との関係に思い悩んでいたのかもしれない。……いや、他人である俺に託すくらいだから相当切羽詰まっていたんだろう。他人の俺には想像の域でしかない。
それが今日になって漸く未空との関係に一筋の光が見えた。
帰りの車中で見せたまもちゃんの嬉しそうな顔が今でも忘れられない。
普段は飄々としてて結構いい加減なのにこう言う時に限ってお祖父ちゃんの顔をするから狡いんだよな。



「今日のまもちゃんはそればっかだね」



それほど嬉しかったんだろうな。
過去ではなくこれから先の未来について語る未空を見て心底安心したはずだ。
母親の影に囚われていた未空はもういない。今の未空は自分のやりたいことをちゃんと言葉にして伝えることが出来る。もう「自分は養子だから…」と言って自分の殻に閉じ篭もることはないだろう。



「リリーは自分には何も出来ないと言っていたが、リリーの影響力を直に受けたことがある儂としてはリリーなら未空のことを何とかしてくれるんじゃないかと期待せずにはいられなかった。それで我が家の問題にリリーを巻き込むことになっても、未空の心を動かすことが出来なくとも何かしらのきっかけが欲しかったんじゃ。リリーには本当に申し訳ないことをしたと思ってるよ」

「謝らないでよ。結果的に未空とまもちゃん達の関係が良い方向に進んだなら俺としてもそれ以上に嬉しいことはないんだから」

「ははっ、儂もお祖父ちゃんは嬉しかったぞ」

「お祖父ちゃんじゃなくてお祖父様でしょう?」

「ふむ、もう少し時間を掛けて落とせばお祖父ちゃんもイケるんじゃないか?」

「かもね。何だったら俺が呼んであげようか?」

「それはダメじゃ。儂をまもちゃんと呼ぶのはこの世でただ1人リリーしかいないんじゃからな」

「本当子供って怖いもの知らずだよね〜」

「それが子供の特権じゃよ。何より儂はその呼び方を気に入ってるぞ。この先儂等の関係が変わったとしてもまもちゃん以外の名前じゃ返事しないからな」

「は〜い」



何やら含みのある言葉だったが、酒が入ってることもあり適当に聞き流すことにした。



(この関係が変わったとしても、か…)



何だか想像出来ないけど、改めて言葉にするとそう遠くない未来に現実になりそうな気がして背筋に嫌な汗が伝った。



「話を戻すが、何か欲しいものはないか?金でも土地でも月の所有権でも何でもいいぞ。儂等からの感謝の気持ちだと思ってくれ」

「は?感謝って…、まさか未空のこと言ってる?だとしたら金も土地も月の所有権もいらないよ。そもそも感謝されるほどのことした覚えはないし」

「リリーならそう言うと思ったが、それでは儂の気が収まらんよ。金品に抵抗があるなら何か儂に出来ることはないか?何でもいい。この爺が必ずリリーの願いを叶えてみせよう」

「必ず…?」



その言葉に俺は食い付いた。
すると俺の反応を手応えを感じたまもちゃんがニヤリと口角を上げた。



「……本当に、何でもいいの?」

「勿論じゃ。男に二言はない」



どこかで聞いたような台詞だな。
まあ、まもちゃんがどうしてもって言うならこの機会を利用させてもらいましょうかね。



「その言葉、言質取ったからね」

「悪い顔じゃな」



そう言うまもちゃんこそ性悪ジジイの顔してることに気付いてるのかな。
ただそう言う顔してるってことは俺の願いにも見当が付いてるのだろう。
だとしたら無駄な前置きや駆け引きは必要ない。本当はこんな形で言うつもりじゃなかったが…。



「俺が欲しいものは裏口のIDカードと黙認、この二つだよ」



案の定、俺の言葉を予想していたまもちゃんがパチンと指を鳴らすと数回のノック音の後に田中さんが部屋に入って来た。そして俺の目の前に1枚のカードを置いた。



「それは田中が個人で所有してる従業員専用のIDカードじゃ。それを使えば田中の記録として残り、好きな時間に屋敷を出入りすることが出来る。但しこれを貸すのは今から明日の朝食前まで。その間はリリーがどこで何をしようとも一切黙認すると約束しよう」



俺がどう言う意図でこの二つを望んだのか、その理由すら黙認してくれるってことね。



「ありがとう」



カウンターの上に置かれたIDカードに手を伸ばして椅子から立ち上がったタイミングでズボンの後ろポケットに入れた。
そのまま“藤の間”を出ようと扉に手を伸ばした時、後ろから「リリー」と呼ばれて足を止めた。



「気を付けて行って来なさい」

「……うん」


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