歪んだ月が愛しくて3
迷子の子猫
鈴木弟Side
突然だが、俺―――鈴木次郎は東日本三大勢力の一つ“Bloody Butterfly”、通称“B2”の傘下に属する暴走族“鎧百足”で兄の一郎が総長を務める傍ら副長として日夜その尻拭いに追われていた。
それが一段落した深夜1時現在、パトロールと称して東都金牛区内にあるLucky Dogに立ち寄って辛口のジンジャエールで喉の渇きを潤していた。
一芸さんお断りのLucky Dogへの入店は結構厳重で基本的にシマの人間か“B2”、若しくはその傘下以外の立入りは厳禁とされている。何でもマスターの結城さんはシマの人間の顔を全て把握してるらしく、当然“B2”や俺達傘下の顔触れも完璧に把握しているため店内において揉め事やトラブルなんかの話は一度も聞いたことがない。だからこんなところをパトロールしたって時間の無駄=サボりだと思われること間違いなしなので人目に付かないように窓側の席にそっと座って俯いたままグラスに口を付けた。
それでなくても今日の店内はやけに人が少ないから自分の存在が目に付いてしまうかもしれない。今のところ知り合いはマスターだけだが警戒するに越したことはないだろう。そんなマスターも一度目が合っただけでずっとカウンター内にいて、ただ1人カウンター席に座っている客とのお喋りに夢中になっている。
(あんな服で出歩くなんて狙って下さいって言ってるようなものだよな…)
カウンター席に座る客の服装はお世辞にもセンスが良いとは言えなかった。
この街で黒一色の服に身を包むとは何て怖いもの知らずだろう。死神を連想させるそれはこの街ではタブーみたいなものなのに。その上顔を隠すように店内でフードを被るなんて怪しいとしか言いようがない。
カラン、カラン
店のドアが外側から開け放たれる。
いつもなら気にも留めないその音に顔を伏せた。自分が兄の目を盗んでサボってる自覚があるため些細な音にも敏感になってしまう。
クラシック調のミュージックが流れる店内では足音なんて聞こえない。いや、正確に言えば俺には聞こえない。普段から音に敏感だったり警戒心の強い人間には僅かな音でも耳に入って来るのかもしれないが、本来愚鈍でせっかちな性格の俺では耳を澄ましていても聞こえない音と言うのがあるみたいだ。
だから少しだけ顔を上げて店に入って来た人物の顔を見ようとした。マスターの声が聞こえないと言うことはシマの人間と言うことなる。どうか知り合いじゃありませんようにと心の中で祈りながらそっと顔を上げた。
(あれ?あの男は…)
そこにいたのは見覚えのある顔だった。
男は店に入るや一目散にカウンター席へと向かい全身黒ずくめの客の隣に座った。すると空気を読んだみたいにマスターは黒ずくめの客から離れて奥に引っ込んでしまった。
カウンター席に取り残された2人は近過ぎず遠過ぎずの距離を保ちながら何やら話し込んでいるように見えた。
酒場では初対面同士が意気投合することはよくある話だ。出会いを求めたり、単なる暇潰しだったり。斯く言う俺も人のことは言えない。だからカウンター席にいる2人が初対面なのか、それとも元からの知り合いなのかを後ろ姿から判断することは難しかった。
でも後から店にやって来た男の方は間違いなく顔見知りだ。知人以上友達未満の関係ではあるが、あの顔を見間違えるはずがない。何故ならあの男は俺達“鎧百足”の親玉的存在である“B2”の…、
「―――お兄さんを待ってるの?」
「うわっ!?」
そんな考え事をしていると不意に横から声を掛けられた。
相手は先程カウンターの奥に引っ込んだはずのマスターだった。
「びっ、くりした…。驚かさないで下さいよ、マスター」
「ごめん、ごめん。驚かせるつもりはなかったんだけど、ずーっと怖い顔でこっち見てたから何かあったのかなって心配しちゃってさ」
「あ、いや…、まあそんなところです…」
「やっぱり」と言いながら笑顔見せるマスターは侮れない人だ。
笑顔の裏で何を考えてるか分からない人。それがこの人の第一印象で、その印象は未だに改善されていない。
以前兄に言われたことがある。
『何があってもマスターには逆らうなよ。あの人は“B2”お抱えの情報屋で親方だって頭が上がらないんだからな』
あのアゲハさんですら頭が上がらない人に誰が好き好んで逆らうものか。俺は兄のような猪突猛進の無鉄砲ではない。
だからマスターと話をする時は適度な距離を心掛けている。相手がこちら側の人間であっても本心を見せない人間を全面的に信用することが出来ないからだ。
「それにしても君がうちに来るのって久しぶりだね。お兄さんの方は偶に来るけど」
「アイツの場合はただのサボりです。面倒なことを全部俺に押し付けて自分は優雅に酒飲んでるなんて本当いいご身分ですよ」
「あははっ、トップの特権だね」
「トップならトップらしく中身も成長しろっての!……です」
「溜まってるね。ここはそう言うのを吐き出すところでもあるから遠慮せずにじゃんじゃん吐いちゃってよ」
「そ、それはまたの機会に…」
そう言えば何でこの人は俺の元にやって来たのだろう。
顔見知りだから?面と向かって喋ったことなんて数回しかないのに…。
「……あれ?もしかして次郎さん?」
ふと名前を呼ばれて顔を上げるとマスターの後ろから見知った顔が現れた。
それは先程までカウンター席で黒ずくめの客と話していた男だった。
「やっぱり次郎さんだ。こんなところで会うなんて奇遇ですね」
「あ、ああ…」
チラッと男の後ろを確認するも既にカウンター席には誰もいなかった。
いつの間に…。話し相手がいなくなったから顔見知りの俺に声を掛けたのか。
「今日は1人ですか?お兄さんの方は?」
「偶には兄離れさせてくれよ。そっちはどうなの?さっきまで他の客と喋ってたじゃん」
「何となく目に付いたんで俺から話し掛けたんですよ。結局フラれちゃいましたけど」
「あー…、確かにあの格好じゃ嫌でも目に付くよな」
俺の言葉に男は目元を三日月型に細めて口元を緩めただけだった。否定も肯定もしない。
「そっちも大変だな。どっかの族潰しのせいでああ言う輩を一々警戒しなきゃ…「次郎さん」
その時点で気付くべきだった。自分の失言に。
「それ以上はうちの連中が黙ってませんよ?」
「、」
……そうだった。
“B2”にとって例の族潰しは警戒対象じゃない。総長のアゲハさんを中心に憧憬の念を抱く者が多いと聞いたことがある。
背筋がゾワッとするその声色に「ああ、この男もか…」と納得した。要は“B2”のシマで例の族潰しの話は禁句と言うことだろう。悪口なんて言った日には干される…、だけならまだいいが存在そのものを消されかねない。それほどまでにこの男の言葉には威力があった。それも時限爆弾並みのヤバい威力が。
「ああ、それと今日ここで会ったことは口外しないで下さいね。特にうちの連中には」
「……何で?」
それは純粋な疑問だった。
でもそう言うからには何かあるんだと思った。俺達が今この場所で会った事実を隠しておきたい何かが。
「次郎さんのために言ってるんですよ。“百足”の副長である貴方が“B2”と同じ轍を踏みたくはないでしょう?」
“B2”と同じ轍?
「……まさかっ」
思わず声を荒げそうになった瞬間、マスターの長い人差し指が俺の口元に押し当てられた。
「これに関しては口を閉ざした方が身のためかもね〜?」
「っ、」
ああ、やっと分かった。
マスターが俺に声を掛けて来た理由も、男と黒ずくめの客が密会してた理由も。
(本当、信用ならない…)