歪んだ月が愛しくて3
立夏Side
Lucky Dogを出た後、俺は金牛区の中心街をぶらぶらと歩いていた。
ナツとはLucky Dogの前で別れたから今は1人。この後どこに行こうか。もうここに用はないからこのまま神代家の屋敷に戻ることも出来る。でも今は久しぶりの外の空気に触れていたかった。嫌なことを全部忘れさせてくれそうなこの夜の街に。
夜だからか、もう夏だと言うのに頬に触れる空気が冷たくて思わず身体を震わせた。
きっと体温が低いのだろう。女の人は身体を冷やしちゃいけないそうだが、自分には関係ないとばかりに隙間風が吹き抜くビルの横へと入った。
ビルとビルの隙間を抜けて錆びて柄が分からなくなったマンホールを踏んだ時、何となく自分を踏んでいるような気になって意味もなく苦笑した。
闇の中、淡い光を放つ月を探すように空を仰げば、ふと会長の言葉を思い出した。
『月は太陽の光によって輝く。言い方を変えれば太陽の光がなければ月は輝かない。だから俺がお前の言うように太陽だと仮定してそれによって月が輝くならそれ以上に気分が良いことはないからな』
何でこんな時に思い出してしまったんだろう。
今日の今日だから?もう日付は変わったから正確には昨日のことだけど。
『お前が俺の月ならご立派な太陽も悪くない』
会長は何であんなこと言ったんだろう。
まるで太陽と月は対等だと言わんばかりに暗闇の中からいつも俺の存在を拾い上げてくれる。
思わせぶりなその言動に何度ヤキモキしたことか。本人には他意がないから怒るに怒れない。
もうこれ以上期待させないで欲しいのに…。
余計なお世話だと言われて頭に血が上ったのは勘違いしていた自分が恥ずかしかったからだけではない。
口ではこの想いを本人に伝えるつもりはないと言って置きながら会長が俺のことを肯定してくれる度に心のどこかで期待してしまっていた。こんな俺でも会長なら受け入れてくれるんじゃないかって…。バカだった。
「頭冷やそう…」
こんな状態では会長の元に戻れない。
それに今のままだととてもじゃないけど未空の恋を応援してあげることも出来ない。……でもそんなの嫌だ。
俺にとっては会長も未空も同じくらい大切な人なんだ。2人に対する感情はまるで別物だけど大切な人達が想い合ってるのを邪魔したり心から応援来ない自分には絶対になりたくない。
だからどうにかしてこの気持ちと折り合いを付けなきゃいけない。どうせ伝えるつもりはなかった想いだ。きっと時間が経てば忘れることも出来るだろう。でも忘れられなかったら?その時はこの想いと共に皆の前から姿を消せばいい。それが一番確実で簡単な方法かもしれない。何れタイムリミットが来る。その時は否が応でも皆の傍にいられなくなるならそれまでに自分の気持ちをリセットしておこう。
俺に残された時間は残り僅か。恐らくあの日まで…―――。
「“飛んで火に入る夏の虫”ってこのことね」
「っ!?」
突如、俺の背後から聞き慣れた声が降って来た。
それは今時の女子のようなキャピキャピとした甲高い声ではなく、だからと言って男のような野太くて低過ぎる声でもない心地良い凛とした声。
いつもならその凛とした声で「シロ」と呼ばれると両手を広げて懐に招き入れてしまうのだが、状況が状況だけに暢気に構えることは出来なかった。何故ならその声色がいつもより低くて、
「後ろ取られるとか油断し過ぎ、―――シロ」
振り返った先にいた彼女の顔がどう見ても怒っていたから。
「カ、イ…っ」
だから彼女の渾身の一撃が俺の頬に入ったのは必然だったのかもしれない。