歪んだ月が愛しくて3



「………」

「………」



不機嫌さを隠そうともしない鋭い視線が正面から注がれる。
金牛区の中心街で突然カイに殴られた俺は嫌でも街行く人々の視線を独り占めしてしまい、それらの視線から逃げるようにカイの腕を掴んで近くのファミレスに入った。
深夜で客も少ないため空いてるボックス席に勝手に座り、とりあえずこの目立つ服装を何とかしなくてはと思い、上に着ていた黒い半袖のパーカーを脱いで肌着代わりに着ていたグレーの半袖Tシャツ姿になった。当然頭や顔を隠すものがないためカイの面前に素の俺が曝け出される。でもカイは何も言わなかった。俺の顔を凝視するだけで大して気にしている素振りは見せなかった。
顔をまじまじと見られることは初めてじゃない。一緒に寝てたくらいだから俺の顔なんて嫌でも覚えているだろう。ただ髪の色や目の色についてはあの頃と違うため不審に思われると思っていたのだがどうやら自意識過剰だったみたいだ。でも聞きたいことはあるはずだ。その証拠に透明なグラスに挿さってるストローを口に咥えてはガリガリと噛み締めていた。



(変わってないな、その癖…)



癖のない長い黒髪も、全身黒の服装も、華奢な体格には不釣り合いなゴツいブーツも、あの頃と何もかも変わっていない。そう信じたいだけかもしれないけど…。
変わってないことが嬉しいのか、悲しいのか、目の前の現実から目を背けるようにテーブルの上のグラスに口を付けた。



長い沈黙が続く。
しかし痺れを切らしたカイが漸く口を開いた。



「今までどこにいたの?」

「県外だよ。学校の関係で」

「学校って?」

「こう見えても現役の男子高校生だからな。この春から全寮制の男子校に通ってんだよ」

「へぇ、あのシロがちゃんと学校に通ってるんだ。じゃあ何でこんなところにいるわけ?」



つまり「何で白羊にいないの?」と言うことか。相変わらず直球だな。



「知り合いに会うため。ただそれだけだよ」

「知り合い、ね…。つまりあたし達よりもその知り合いの方が大事ってわけね」

「そんなこと言ってないだろう」

「言ってるようなものでしょう」



ガリガリ。



「シロがあの街から消えてもうすぐ1年だよ。1年って365日もあるの。その間ずっと放って置かれたこっちの気持ち、シロは考えたことある?ないでしょう?もしあったら連絡寄越すなり行き先を伝えるなりするはずだもんね」



ガリガリ。



「でもシロはそうしなかった…。それが全ての答えでしょう。結局シロはあたし達から逃げたの」

「カイ、俺は…っ」



ガンッと、カイは俺の言葉を遮るように手に持っていたグラスをテーブルに置いた。
俯いたままグラスを見つめるカイの表情は分からない。でもグラスを持っている手が震えている。これは相当溜め込んでいるのかもしれない。
カイは感情を表に出すことが苦手で一見我慢強いと思われがちだが、本当は他人に甘えることが苦手なだけで喜怒哀楽の感情を内に溜め込むだけ溜め込んで自滅する不器用な奴なのだ。そんな彼女の感情の捌け口はいつだって俺だった。俺だから出来たこと。俺だから受け止められたこと。それは寂しがりやで死にたがりの彼女に生身の温もりを与えることだった。俺が白羊を去った後は公平がカイの傍にいたはずだが…。



「ふざけんなっ」



その言葉と同時に身を乗り出したカイの右ストレートが飛んで来た。でも正面からの攻撃だったため難なくそれを左手で受け止めてカイの拳をそっと握った。
カイが本気で俺を殴ろうとしているわけじゃないのは分かっていた。少なくとも今この場では。
これはカイの感情だ。発散出来ずに自身の中で燻っていたモヤモヤした感情を今この場で吐き出そうとしているのだ。



「アンタは何も教えてくれないけど、アンタがあたし達の前から消えた理由なんてとっくに見当付いてんだよ!今更飼い主ヅラして気遣ってるつもり!?あたし達を巻き込まないようにって自分だけでどうにかするつもりなんでしょう!?ふざけんな!かっこつけんなよ!寧ろかっこ悪いわ!」



俺の手を振り払う、カイ。
そしてどかっとソファーに座って目の前の俺を睨み付ける。



「言っとくけど、あたしは誰にも飼われてるつもりはないから!誰が何と言おうとあたしはあたしなの!誰にも繋がれないし誰にも飼われない、あたしは誰にも従わない獣だ!だからあたしはあたしがやりたいようにやる。他の4匹は知らないけど少なくともあたしはシロの意向を汲み取って大人しくマテしてるつもりはないから」



カイはストローを噛むだけでは飽き足らずグラスの中の氷を口に含んで激しい音を立てながら砕いていく。
カイの苛立ちが手に取るように分かる。本当は隠しておきたかったんだろうな。でも俺の煮え切らない態度がカイの不安と苛立ちを増幅させていた。



「邪魔してやるっ。シロの思い通りになんか絶対にさせないから」



全部、俺のせい…。
カイを不安にさせてるのも、普段は滅多に声を荒げない彼女をここまで追い込んだのも。



「シロがいないとあたし…、ダメなの。ほんと、しにたくてたまらないっ」

「カイ…」



今にも泣き出してしまいそうなクシャッとした顔が必死で懇願している。でも泣けない。涙を堪えることで最後の砦を守ろうとしているんだ。
そんな彼女に手を伸ばさない人間がこの世にいるだろうか。少なくとも俺には無理だ。



「お願い、もう帰って来て…。あたしのこと、殺してくれるって言ったじゃんっ。シロじゃないともうダメなんだよ!」



噛み付くことだけ一丁前で、他人に甘えることを知らないこの可愛い子猫を突き放すなんて俺には出来ない。



「―――分かった」

「っ、」

「でも今すぐには無理だ。まだやることが残ってる」

「……それはハチの関係で?」

「違うよ。アイツ自身は何も関係ない。ただ俺がこの気持ちと折り合いを付けられてないだけ」

「………」



とは言ったもののこの気持ちと折り合いを付けることなんて本当に出来るのだろうか。
漠然とした未来しか浮かんで来ない。でもそこに俺はいない。そこにあるのは俺の大切なもの。何者にも変え難い大切な5匹の獣と、そしてその先にあるのは…―――。



「だったらそれが解決すればシロは戻って来てくれるの?」

「戻るよ。もうお前を泣かせることはしないって約束する」

「っ、だ、誰も泣いてないだろう!適当なこと言うな!」

「安眠枕がなくて寝れなかったんだろう?寝不足は肌に悪いって言うもんな」

「そんなもん気にしたことないわ!てか安眠枕の自覚があるなら勝手にいなくなるなよ!せめて行き先くらい言っといてくれないと連絡の取りようがないんだけど!」



いくらか覇気を取り戻したカイの言葉に思わず苦笑した。



(連絡、ね…)



もう二度と連絡を取るつもりはなかったからそんなこと考えたこともなかったな。
一度は手放したはずだった。でも現実には何一つ捨てられなくて、それどころか彼等の存在にしがみついているのは自分自身だった。
そんな俺がまた彼等と一緒にいてもいいのか…、いくら考えても身勝手な自分を正当化する言葉しか見つからなかった。本当反吐が出る。



「……てかあたしの安眠枕がなかったようにそっちだってまともに寝れてないんじゃないの?」

「ちゃんと寝てるよ。それにお前達と違って俺は偏食じゃないから寧ろ三食きちんと食べて規則正しい生活を送ってるよ」

「(嘘くさ…)じゃあもういらないの?シロの羽毛布団」

「羽毛布団って…」



アイツを羽毛布団に例えるとは言い得て妙だな。
流石俺を安眠枕呼びするだけあってよく見てる。



「いらないの…?」



無害そうな顔で同じ言葉を繰り返す、カイ。
まるで確信が欲しいかのように不安げな顔を隠そうともせず俺が触れて欲しくない部分を的確に突く。
いらない?そんなわけないだろう。
でも何も言えなかった。言葉にしたら最後、もう後戻りは出来ないと分かっていたから。



「シロは、狡い…」



本当、自分でもそう思うよ。


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