歪んだ月が愛しくて3



見えたのはほんの一瞬で、会長は片手で俺の頭を自分の胸に押し付けて反対の手で俺の腰を抱き寄せた。
ぎゅうと、全身が軋むくらい強く抱き締められる。
その様子があまりにもいつもと違い過ぎて、抵抗しようとした身体から力が抜けた。
俺の頭に顔を埋めるように、それでいて縋るように抱き締めて来る会長に「…会長?」と声を掛けた。無視されたけど。



それからはもう時間との戦いみたいになって、俺は会長が満足するまで抱き枕状態を保っていた。お陰でこっちは緊張して手汗がヤバいことになっている。手握られなくて良かった。
でも流石に廊下に物音が聞こえた時は焦って会長の胸を押して距離を取った。
案外すんなりと剥がれた会長の身体。でもその空気読めない感が居た堪れなくて「……お腹空いた」と言って誤魔化した。



「もうこんな時間か…」

「会長もお腹空いて来た?」

「お前ほどじゃねぇよ」

「そこまで食い意地張ってませんけど」

「腹減ったって言ったのはどこのどいつだよ?まあ、お前の場合は緊張からの反動かもしれねぇが」

「緊張?」



不意に会長の手が俺の手を掬った。



「手汗凄ぇな…」

「っ!?」



しかも恋人繋ぎとか、最悪過ぎる。



人の気も知らないでニヒルに口元を緩める会長は俺の手を握ったまま「行くぞ」と部屋のドアノブに手を掛けた。



いや、行くぞじゃねぇわ。
何ちゃっかり手繋いでんだよ。
しかも大人しく抱き付いてるだけかと思えば小姑並に目敏いし、こっちが気付いて欲しくないことをあえて口に出して羞恥心を煽るとかどんだけ性格悪いだよこの人。
手汗を確認するために手繋ぐとか悪趣味にも程がある。俺の純情を返しやがれこの野郎。



そんな行き場のない文句を自分の中で昇華してる最中、会長は鍵の掛かっていないドアノブを回して室内に足を踏み入れた。



……あれ?何で鍵掛けてないの?



そんな疑問が脳裏に過りながら会長の後に続いて室内に足を踏み入れると、その疑問は一瞬で解消された。



「お邪魔しまー…」

「おかえりなさいませ、尊様、藤岡様」



出迎えてくれたのは燕尾服に身を包む執事さんだった。



「え、とー…」

「安心しろ。うちの人間だ」

「いや、それは分かるけど、ちょっとびっくりして…」

「さっき話しただろう、うちのシェフを呼んだって」



確かに言ってたかも。



比較的若そうな執事さんが深々と頭を下げてから俺達をリビングの方へと案内する。
リビングに続くドアが開かれると、そこは小規模なパーティー会場並みの広さを有するリビングダイニングへと繋がり、カウンターキッチンで作業するシェフや側で控えるメイドさんが執事さんと同じく挨拶をしてくれた。
俺はそれに対して「お邪魔しまーす…」と申し訳なさそうに頭を下げることしか出来なかった。
だってたかが後輩と飯食うためだけにこんな山奥の学校まで呼び付けられて、その相手がこんな野郎1人だったら申し訳なくもなるでしょう。



それに…、



リビングの中央に設置された丸型のテーブル。

その上に敷かれたシルバーのテーブルクロス。

予めセッティングされたピカピカの銀食器。

テーブルの中央には金の花瓶に深紅のバラが一輪。



ここはどこぞのレストランだ。

めっちゃお客様対応じゃんこれ…。



「藤岡様はこちらに」

「……ありがとうございます」



椅子を引いて待っていてくれた執事さんにお礼を言ってから腰を下ろした。



改めて室内を見渡すと、設備の整ったダイニングキッチンと広過ぎるリビング、そして極め付けの豪華なシャンデリアの装飾に眩暈を起こしそうになる。



場違い過ぎる…。

寧ろ俺いらなくない?


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