歪んだ月が愛しくて3
この一等地を有り得ないほど広大に占める一画。
近隣に住む者でなければ国有地と錯覚して素通りする者もいるかもしれない。
「入る」
その屋敷の前で対象車が止まった。
(う、そだろ…)
本当にここが目的地なのか。最悪だ。
未空が車から下ろされるタイミンングで助け出すと言ったけど、それ以前にこんな要塞みたいなところに入られたらいくらナツがいてもそう簡単に侵入出来ない。助ける以前の問題だ。
どうする?
どうすればいい?
屋敷の門が自動で開かれる。
対象車はゆっくりと前進し門の中に吸い込まれて行く。
「シロ、どうする?」
俺だけなら多少の無茶は出来る。
急所を避ければ未空を助け出すことは出来るかもしれないけど…、でも今はナツがいる。これ以上ナツを巻き込むことは出来ない。それに怪我を負った俺が未空を安全に外に逃がせるのかと問われたら正直危うい。最低でも中と外に1人ずつは必要だ。そうすると必然的ナツを巻き込むことになる。
この場合、最も優先すべきことは未空の安全の確保だ。そしてナツと一緒に…、
「ここって…」
ナツが漏らした独り言に俺の思考が遮られる。
ナツは真っ白な高い塀に囲まれた屋敷を見上げて門の手前でブレーキを掛けた。
単車が完全に停車したと同時に門扉の閉まる音が聞こえた。
「……あの未空って奴、確か名字は仙堂って言ったよね?」
「そう、だけど…」
ナツは冷静だった。
それ故、逸早く何かを察知した様子だった。
その険しい横顔を見て、俺は固く目を瞑って深呼吸を繰り返す。
次第に冷静さを取り戻すと、目の前に聳え立つ門扉を見上げた。
「……俺、ここ知ってる」
先程までは気付かなかった。
でも思考を整理したと同時に記憶の蓋が開かれた。
俺は単車を降りて門の前まで駆け足で向かった。
真っ白な塀に囲まれた格子状の門扉の向こうに見えるのは広大な敷地と立派な庭園、その中央にはこれまた大きな噴水がある。
間違いない。
俺はこの場所を知っている。
でも、何でここに未空が…。
それも何で誘拐紛いなやり方で連れて来られたんだ?
だってここはあの人が住んでいる屋敷のはず。
小さい頃よく遊びに来た場所だから覚えている。
それなのにどうして未空がここに…、いや、それ以上に不可解なのは表札に刻まれた姓だ。
そこに記されていたのは「仙堂」ではなかった。
「行くの?」
「……うん」
「じゃあ俺も…と言いたいところだけど、どうせ止めるよね…」
「ごめん」
直後、黒の格子に金の装飾が施された門扉が自動で開放された。
こちらはインターホンも押していないのに勝手に開いたと言うことは、屋敷の主人の意志で招かれたと言うことか。
「ナツ、このことヤエに伝えてくれる?多分この後連絡するの難しいと思うから」
「……分かった」
「それとさっきの連中のこともヤエに宜しくって伝えといて。連絡出来るようになったらこっちからするから」
「うん」
「ごめんな。ナツのことまで巻き込んじゃって…」
「巻き込まれたなんて思ってないよ。俺は自分の意志でシロについて来ただけ。シロが気にすることじゃないよ」
「ありがとう…」
俺はズボンのポケットからナツに借りたナイフを取り出してナツに向かってそれを放った。
もう、護身用は必要ない。
どう言う理由で未空を連れて来たのかは知らないが、相手が誰だか分かった今、武力行使に出る必要はなくなった。
でも確かめなきゃいけない。
未空の安否も、あの人の真意も。
「行って来る」
俺はナツに背を向けて敷地内に足を踏み入れた。
そんな俺の後ろ姿を見送った後、ナツは目前に立ちはだかる門扉を睨み付け屋敷内にいるはずの元凶に向かって訝しげに吐き捨てた。
「何でシロが謝るかな。巻き込まれたのはシロの方なのに…」