歪んだ月が愛しくて3



文月Side





初めて訪れたこの場所は、正に王者の住処に相応しい品格と権威を併せ持つ煌びやかな世界だった。



表御三家の神代家と、七名家の鏡ノ院家。
歴史の長さで言えば然程変わらないし、金だって腐るほど持っている。屋敷の広さは神代家の1/3程度だろうが、調度品の数やそれらの価値は同等なものだろう。だが圧倒的に違うものが一つだけある。それは温もりだ。
神代家は典型的な金持ち一家ではない。つまり仕事を理由に家族を蔑ろにするような家ではないと言うことだ。王者の威厳を示し、時には残酷な決断を下し、そんな仕事に忙殺されながらも家族や己の愛する者をきちんと大切にして来たのだろう。彼等の姿を見れば一目瞭然だった。



鏡ノ院(うち)とは違う。

だから俺は神代が嫌いだった。自分にはないものを持っている、この一家が。



「まさかお前が神代の犬だったとはな…」



約束もなしに突然押し掛けた俺を案外すんなり受け入れて応接間に案内したのは、臨時の保健医として雇ったばかりの葉桜小牧だった。



「雇用規約に副業NGとは書いてなかったので。勿論神代にもそんな規則はありませんから」

「責めてるつもりはない。ただの確認だ」

「確認?」

「何のためにうちに潜り込んだ?誰の指示だ?」

「それは当然…」

「私達以外にいないでしょう?」



応接間の扉が開け放たれたと同時に第三者の声が葉桜の言葉を遮った。
口元を扇子で隠しながら現れたのは神代尊の実母であるレティシア・ミシェル・ド・シュヴァリエだった。
神代家の陰の立役者と言われる彼女の登場に無意識に身体が強張った。



「食事中だったものでお待たせしてごめんなさい」

「いえ…。突然の訪問を許可して頂き感謝します」

「そうね。次回からは事前に知らせてもらえると有り難いわ。今回は偶々在宅していたけれどうちの人間は外出していることが殆どだから無駄足になってしまうかもしれないからね」

「肝に銘じます。こちらとしても次回がないことを祈っておりますので」



嫌味に嫌味で返したと言うのに奥方の表情が変わることはなかった。
口元は見えないが部屋に入って来た時と同様に余裕の笑みを浮かべていることだろう。



「本題に入りましょうか。貴方が訪ねて来た目的はリリーを連れ戻すためよね?」

「リリー?……まさか、うちの立夏のことですか?」

「あの子にピッタリな可愛らしいニックネームでしょう」

「……話を戻します。貴女の仰る通り私の目的は無断外泊の我が甥っ子を連れ戻すことです。これ以上ご迷惑をお掛けするわけにはいきませんのでこちらで引き取らせて頂きます」

「それには及びませんわ。あの子がここに来るように仕向けたのは私達ですから」

「はい…?」



一瞬、何を言われたのか分からなかった。
ここに来るように仕向けた?奥方が?
いや、彼女は今“私達”と言った。つまりそれは“神代”がリツをこの場所に呼び寄せたと言うことだ。



「貴方がどこまで把握しているか知りませんが、私達とリリーは初対面ではありません。リリーは幼い頃父親の静雄氏と共に何度か我が家に訪れています。1人でお泊りしたこともあったわね。まあ、知り合った経緯については省略するけど、初めて会った時から私達はあの子の虜…、いえ特別なのよ。貴方も知っての通りあの子は意図せず人を魅了してしまう子だからね」

「……では何故連絡を下さらなかったんです?リツのことを知っているなら当然アイツが鏡ノ院の関係者だと言うこともご存知ですよね?」

「こちらから連絡を入れて困るのはそちらじゃなくて?」

「それは、どういう…」

「どんな要件であれ私達から貴方に連絡すれば当然当主の耳にも入るでしょう。それは貴方にとっても避けたいところなんじゃないかしら?」

「、」



図星を突かれ思わず息を飲んだ。
いつの間にか目の前に置かれていたコーヒーカップを手に取り喉の渇きを潤す。



「と言うことで、暫くの間リリーは我が家でお預かりします」

「か、勝手なことを言われては困ります!いくら知り合いでも赤の他人の貴女方にアイツを任せることは出来ません!」

「あら、貴方だって厳密に言えば他人じゃない?」

「血は繋がっていなくても家族です。私は家族としてアイツを保護し監督する義務があります」

「ご立派ね。とてもあの男の親族とは思えないわ。……と言いたいところだけど、今更家族ごっこはやめて頂戴。寒気がするわ」

「何をっ」

「私達が何も知らないとでも?これまで貴方達がリリーに何をして来たか…。言ったでしょう、あの子は“特別”だって。あの子を害する人間を神代が野放しにして置くと本当に思っているのかしら?」

「、」



ここに来て奥方の表情が初めて変わった。
怒りと軽蔑。それらを滲ませた瞳が真っ直ぐに俺を射抜く。
その瞳は俺を通して鏡ノ院家の全ての人間に向けているのだろう。流石にここまで確信めいたことを言われたらもう誤魔化せない。奥方の意図が分からないほど俺は鈍感ではない。


彼女は…、神代は知っている。



鏡ノ院の罪を。

俺の罪を―――。


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