歪んだ月が愛しくて3



視線が下がり膝に置いた手を固く握り締める。
何も言えなかった。言葉が出て来なかった。罰せられる恐怖からではない。俺がリツへ向ける感情の全てを否定されているようでその目を見ることが出来なかった。
意気揚々と敵陣に乗り込んだくせにこの様とは、哀の言う通りもう少し慎重に行動すれば良かったと今更ながらに後悔している。リツが神代の家にいると分かった時は頭に血が上って感情の赴くままに行動してしまった。まさかリツが神代の人間と懇意にしていたとは夢にも思わず強引に連れ去ったとばかりに思っていたから何が何でも奪還してやろうと息巻いていたがとんだ勘違いだったと言うことか。哀の言う通りどうやら俺は冷静さを欠いていたようだ。いい大人が情けない、そう笑われても仕方ないかもしれない。しかしどんなに笑われても構わなかった。リツにもしものことがあったら亡くなった姉さん達に顔向け出来ないし、今度こそ俺は自分を一生許すことが出来なくなるだろう。俺の罪はそれほど重い。それを神代も知っている。リツを“特別”と豪語する神代からしたら鏡ノ院を憎むのは当然のことだろう。奥方の表情を見れば火を見るより明らかだ。



「―――とは言え、貴方がリリーを大切に思っているのは確かでしょうね。それを否定するつもりはありません。貴方も貴方なりにあの子を守って来たのは事実ですから」

「貴女は…、神代はどこまで知っているのですか…?」

「少なくとも貴方よりは事の全容を把握していると思うわ」

「私より?そんなはず…」

「じゃあこれは知っているかしら?リリーと恐極月の因縁から始まった八重樫組による恐極組の粛清によりある計画が頓挫したの。それによってあの男が動き出したみたいよ」

「っ!?」



あの男が動き出した?
だがあの男の動向を見張らせてる者からはそんな情報は一切入って来ていない。
諮られているのか?それとも俺の反応を見て鎌を掛けているのか?若しくは…―――。



「私達は“神代”よ」



何とも説得力のある言葉に二つの疑惑が打ち消された。
しかしその話が確かならこんなところで暢気に喋ってる時間はない。早いところ哀と合流して今後の対策を練らなければあの男に勘付かれてしまうかもれない。そんなことになればリツは…っ。



「貴方が懸念していることは分かっているつもりよ。だから一時的にもあの子の身柄をこちらに移した方が貴方にとっても良いのではないかしら?勿論リリーにとってもね」

「……そちらの条件は何ですか?」

「そんなものはないわ。強いて言うならリリーと過ごす時間ね。ご両親が亡くなって以来あの子には会えていなかったから積もる話が沢山あるのよ」

「………」



俺とは対照的に奥方は余裕綽々と振る舞っている。
この状況を理解出来ていないのか、将又所詮は他人事だと思っているのか。本当に彼女の提案を鵜呑みにしていいものか決めかねていた。
リツを匿うことで神代にメリットがあるとは思えない。ギブアンドテイクの関係ではなく利があるのはこちらだけ。そんな状況で奥方の言葉を全面的に信じろと言う方が無理な話だ。しかしそれ以上の打開策が見つかるとも思えない。神代がリツのバックに付いてくれるならこれ以上の保証はないし、神代の人間と懇意にしているならばリツにとっても悪い話じゃないはずだ。



『離さねぇよ。掴んだものは何一つ』



俺がつまらない嫉妬心を捨てればいいだけ。

今優先すべきことはリツの安全の確保、それだけだ。



「リツのことはお子様達もご存知なのですか?」

「いいえ。知っているのは当主と主人、そして私と近衛隊総隊長の4人だけよ」

「でしたらお子様達にはこのことは他言無用でお願いします。リツと鏡ノ院の確執も含めてです。今のアイツには当時の記憶がありません。不幸中の幸いと言うべきか、そのお陰で今のアイツは生かされてるんです。余計な詮索をされてアイツの心を乱すような真似は絶対にしないで下さい。それが貴女方にリツを預ける条件です」

「貴方に言われなくても他言するつもりはないのでご心配なく。リリーの心理状態は本人以外には分からないでしょうけど、あの子の心の安寧を守りたいのは私達も一緒よ。そのためなら多少の手助けはするかもしれないけどそこはお互い大人ですから臨機応変に対応して行きましょう」



その言葉を聞いて再びコーヒーカップに手を伸ばした。
100パーセント信用したわけではないが、どんなに探してもここ以上にリツの安全を確保出来るところは見つからないだろう。時間稼ぎとして考えればいい。その間に自分のやるべきことをやる。あの男がリツの存在に気付く前に何としてでも奴の注意を逸らさなくてはあの日の二の前になってしまう。それだけは絶対にダメだ。何としてでもリツの存在を隠し通さなければならない。そのための障害を排除する時間が俺には必要だ。そしてその一番の障害が…、



「ただあの子が貴方の望み通りに大人しくしてくれるかしらね」



リツ自身だった。



「それが一番の懸念事項ですよ…」



その後、いつの間にか部屋からいなくなっていた葉桜がリツと仙堂を引き連れて応接間にやって来た。
改めてその場でリツの意志を確認し、俺の決意は漸く固まった。


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