もう一度 恋をするなら
 ――え、なに?

 一瞬、動揺する。しかし彼はすぐに私から目を逸らして、笹井先生に向けて礼をした。

「それでは、私はこれで失礼します」
「ああ、引き留めて連れてきちゃって悪かったね」
「いえ、私も貴重なお話を拝聴でき有意義な時間でした」

 それからなぜか出入口に向かわずにこちらに歩いてくるので、私は驚いて固まってしまった。だが、彼が話しかけたのは私ではなく時任先生だった。

「時任先生、突然お邪魔して申し訳ありませんでした。会費をお支払いします」
「いやいや、いいって。笹井先生が連れてきたんだし、君ほとんど飲んでも食べてもいないじゃん」
「ですが」
「大丈夫。飲み放題プランとかじゃないから、ひとり増えたって飲み食いした分の金額をみんなで割るだけだから」

 弓木君は、少し考えていたが「それでは、お言葉に甘えます」と一歩下がって軽く頭を下げる。それから時任先生と私、両方に向けて言った。

「お先に失礼します」

 そして足早に会場を出て行く。その後ろ姿を、私はしばらく見つめていた。
 心が、どうしても話しかけたくて仕方がなくなる。だけど、いざとなるとなんて言えばいいかわからない。弓木くんを見ると、そんなジレンマに悩まされる。
 今日のお礼はすでに伝えてしまっているし、もう一度言うのはしつこい気がするしわざわざ追いかけていくのも勇気がいる。弓木くんの態度に、少しもかつてのような気安さが見えないのが怖くて心配だった。

「ごめんなさい、ちょっとお手洗い行きますね」

 席を立って、弓木くんの後を追いかける。廊下に出れば弓木くんの広い背中が店の外へ出ていくのが見えたけれど、早歩きですぐに見えなくなり諦める他なかった。

 これ以上追いかけたとて、何を言えばいいのか。昔のことに触れていいのか、わからなかったから。


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