[慶智の王子・西園寺京の物語]ラブストーリーは一夜の過ちから始まる〜アラフォー男と三十路女の拗らせ恋愛〜
第2章: 灯台下暗し
真帆子
昼休みのチャイムが鳴る少し前から、私は落ち着かなかった。
高橋主任と松島主任は、何も言わずに視線を交わしている。
「小宮さん、ランチ行きましょうか」
二人からほぼ同時に声がかかった。
ニコニコ顔のお二人に両腕をがっちりと組まれ、私はどう見ても連行される容疑者のようだろう。
契約社員先である伊乃国屋コーポレーションのバイヤー部で、私は正社員のアシスタントをしている。
仕事内容はプレゼン資料の作成やリサーチの補助が中心で、以前の職場と大きく変わらない。だから思っていた以上に仕事に慣れるのは早かった。
それも、今こうして私を気にかけてくれる人たちがいるおかげでもある。
直属の上司である高橋文香主任は、判断が早く、仕事に無駄がない。二児の母でありながら、職場では常に冷静で、頼れる存在だ。
そして営業一課の松島保枝主任は、感情表現が豊かで、裏表がない。
この二人には、隠し事ができない。
案の定、ランチタイムという名の『事情聴取』が始まった。
「今朝の小宮ちゃん、明らかに変だったからね」
「そうそう! 顔も目も、全部物語ってたわよ」
やはり泣き腫らした目を、ブルーライトカット眼鏡では隠しきれなかったか……
それでも前夜の出来事を、すべて話す勇気はない。
だから私は、一方的な婚約破棄のこと、無理やり指輪を外されて傷を負ったことを、淡々と口にした。そして契約社員ではなく、これから新たに就職先を探すことになるという現実だけを、伝えた。
多少出来事を省いただけ――それだけ。
でも、不思議と言葉は詰まらなかった。昨日の今日で、心が痛まないわけではない。
それでも、これからのことを考えられているのは、目の前の二人が、私以上に怒ってくれるからかもしれない。
「ほんっと、あの男最低」
「よく5年も我慢したわね」
以前から研二の話を聞かされていた二人は、遠慮なく彼を切り捨てた。
高橋主任に促され、私は左手を差し出す。
まだ赤く腫れ、引っ掻かれた跡が生々しい薬指。彼女は無言で携帯を取り出し、角度を変えながら数枚、写真を撮った。
「小宮ちゃん。泣き寝入りだけはダメよ。これは立派な傷害。きちんと償わせなきゃ」
ドンドンと拳でテーブルを叩きながら、いつも冷静な高橋主任が怒りをあらわにする。そしてその場で、電話をかけ始めた。
相手は慶智学院時代の親友。会社から近い近衛総合病院の医師らしい。その人が診断書の件で、婚約者の整形外科医に話を通してくれたと言う。
終業後、病院へ行くことが決まった。
さらに高橋主任は、伊乃国屋コーポレーションの顧問弁護士――伊集院涼介という名前を挙げる。
ただ、ここで一つ問題があった。
私は契約社員で、顧問弁護士への正式な相談は規定上できないのだという。
「だったら、正社員になればいいのよ」
高橋主任はあっさり言った。
企画部では以前から正社員を探していたこと。私の仕事ぶりを評価していること。でも、結婚の予定があったから推薦を見送っていたこと。
「今なら、何の問題もないわ」
人事部にいるご主人と、バイヤー部長に直接話を通してくれるらしい。
高橋主任と松島主任は、何も言わずに視線を交わしている。
「小宮さん、ランチ行きましょうか」
二人からほぼ同時に声がかかった。
ニコニコ顔のお二人に両腕をがっちりと組まれ、私はどう見ても連行される容疑者のようだろう。
契約社員先である伊乃国屋コーポレーションのバイヤー部で、私は正社員のアシスタントをしている。
仕事内容はプレゼン資料の作成やリサーチの補助が中心で、以前の職場と大きく変わらない。だから思っていた以上に仕事に慣れるのは早かった。
それも、今こうして私を気にかけてくれる人たちがいるおかげでもある。
直属の上司である高橋文香主任は、判断が早く、仕事に無駄がない。二児の母でありながら、職場では常に冷静で、頼れる存在だ。
そして営業一課の松島保枝主任は、感情表現が豊かで、裏表がない。
この二人には、隠し事ができない。
案の定、ランチタイムという名の『事情聴取』が始まった。
「今朝の小宮ちゃん、明らかに変だったからね」
「そうそう! 顔も目も、全部物語ってたわよ」
やはり泣き腫らした目を、ブルーライトカット眼鏡では隠しきれなかったか……
それでも前夜の出来事を、すべて話す勇気はない。
だから私は、一方的な婚約破棄のこと、無理やり指輪を外されて傷を負ったことを、淡々と口にした。そして契約社員ではなく、これから新たに就職先を探すことになるという現実だけを、伝えた。
多少出来事を省いただけ――それだけ。
でも、不思議と言葉は詰まらなかった。昨日の今日で、心が痛まないわけではない。
それでも、これからのことを考えられているのは、目の前の二人が、私以上に怒ってくれるからかもしれない。
「ほんっと、あの男最低」
「よく5年も我慢したわね」
以前から研二の話を聞かされていた二人は、遠慮なく彼を切り捨てた。
高橋主任に促され、私は左手を差し出す。
まだ赤く腫れ、引っ掻かれた跡が生々しい薬指。彼女は無言で携帯を取り出し、角度を変えながら数枚、写真を撮った。
「小宮ちゃん。泣き寝入りだけはダメよ。これは立派な傷害。きちんと償わせなきゃ」
ドンドンと拳でテーブルを叩きながら、いつも冷静な高橋主任が怒りをあらわにする。そしてその場で、電話をかけ始めた。
相手は慶智学院時代の親友。会社から近い近衛総合病院の医師らしい。その人が診断書の件で、婚約者の整形外科医に話を通してくれたと言う。
終業後、病院へ行くことが決まった。
さらに高橋主任は、伊乃国屋コーポレーションの顧問弁護士――伊集院涼介という名前を挙げる。
ただ、ここで一つ問題があった。
私は契約社員で、顧問弁護士への正式な相談は規定上できないのだという。
「だったら、正社員になればいいのよ」
高橋主任はあっさり言った。
企画部では以前から正社員を探していたこと。私の仕事ぶりを評価していること。でも、結婚の予定があったから推薦を見送っていたこと。
「今なら、何の問題もないわ」
人事部にいるご主人と、バイヤー部長に直接話を通してくれるらしい。