[慶智の王子・西園寺京の物語]ラブストーリーは一夜の過ちから始まる〜アラフォー男と三十路女の拗らせ恋愛〜
彼女の声が震え、笑顔が消える。

一粒の涙が零れた瞬間、考えるより先に体が動いた。抱き寄せると、薄めた石鹸のような匂いがした。懐かしくて、柔らかくて、抗いがたい。

腕に収めた身体は驚くほど軽く、壊れそうで、自然と力が入る。

「君は悪くない。そんな男のために、消える必要はない」

彼女は小さく息を呑み、指先で俺のシャツを掴んだ。

それだけで、答えは十分だった。



触れるだけの口づけから、深く求め合うまでに時間はいらなかった。

吐息が絡み、熱が重なり、彼女は何度も俺の名を探すように声を震わせる。泣きながら縋るその姿が、ただ愛おしい。

眠った彼女の目元に残る涙を、指でそっと拭う。黒髪を撫で、鎖骨に散った赤い痕に小さく息を吐いた。

やり過ぎた自覚はある。
それでも後悔はない。

名も告げず、朝になればそれぞれの場所に戻る。ただ心が少し軽くなる――そのはずだった。

なぜ、手放したくないと思う?



支度をしながらサイドテーブルを見ると、そこにあるはずの腕時計がない。

床に、小さなダイヤのネックレスが落ちていた。昨夜、俺が外したものだ。

部屋を見渡すと、テーブルの上に腕時計とメモ、そして1万5千円。

『手持ちがこれだけしかありません。ごめんなさい』

……えっ?

メモと金を手にしたまま、しばらくその場から動けなかった。



ロビーに降りると、馴染みの声。

「よう! 早いな、京兄(きょうにい)

仲間の一人でホテルオーナーの九条仁(くじょう・じん)がニヤつく。

チッ、見られたか。

「毎度ご利用ありがとうございます。もちろん口外はしませんよ」

「……からかうな」

「いやいや。珍しいからさ。京兄がこの時間に降りてくるなんて」

軽い調子とは裏腹に、仁の視線が一瞬、俺の顔を測る。それだけで、こいつには何かが伝わったらしい。

「……いつものじゃないな」



その一言に、足が止まる。

「兄ちゃんのそんな顔、初めて見た」

言い返そうとして、やめた。誤魔化す言葉が、浮かばない。

ふと、彼女のことが脳裏を掠める。

仁になら話せるかもしれない。そう思い、口を開いた。

「なぁ仁。少し時間あるか。個人的に、相談がある」

からかい顔が消える。

「社長室、使うか?」

「ああ。助かる」

こうして俺は、社長室で軽く朝食をとりながら、昨夜の話をすることになった。


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