[慶智の王子・西園寺京の物語]ラブストーリーは一夜の過ちから始まる〜アラフォー男と三十路女の拗らせ恋愛〜
ノックのあと、小宮真帆子が控えめな足取りで会議室に入ってきた。少し緊張しているのか、うつむき加減だ。

「小宮ちゃん、ごめん。ちょっと聞きたいことがあるの」

高橋が優しく声をかけると、彼女は不安そうに顔を上げた。

「す、すみません。資料の入力に間違いがありましたか?」

「違うのよ。小宮ちゃんのせいじゃないわ」

少しホッとしたように、彼女の肩から力が抜ける。その表情を見て、体の芯がわずかに熱くなった。

社内にいても、彼女と顔を合わせる機会は驚くほど少ない。

……それが、もどかしい。



高橋は資料を指さし、穏やかに問いかけた。

「小宮ちゃん、前に平井フーズで営業事務をしてたわよね。この資料、あなたが作ったものじゃない?」

「はい。たしかに私が最後に作った提案資料です。でも、どうしてそれが……?」

「今日のプレゼンで『自分が作った』と言い張ったアシスタントがいたの。でもこれは、あなたの資料よ。表現の癖もそうだし、フッターにあなたの名前も残っていたわ」

「……白川麗華」

 ハッと息を飲み、彼女は囁くように呟いた。その瞬間、顔色が一気に変わる。

沈黙が流れ、大橋部長が静かにフォローを入れた。

「小宮さんを責めているわけじゃないんだ。私たちは取引先を判断するとき、商品の質だけじゃなく、人の信頼性も重視している。今回の件は、その信頼が大きく揺らいだという話だ」



彼女は思いつめたように唇を噛み、今にも泣き出しそうだった。あの夜、『名無し』で見た泣き顔と重なる。

――ダメだ。

今すぐ抱きしめたい。あの夜のように。この泣き顔を、誰にも見せたくない。

……だが、それは一瞬の妄想にすぎない。

テーブルの下で小さく拳を握り、何事もなかったように椅子に深く腰を掛け直す。

その間に、高橋がさりげなく動き、彼女を会議室の外へ連れ出していた。

俺はゆっくりと視線を上げ、手元の資料に目を落とす。だが、文字は目に入っても、内容が頭に残らなかった。



しばらくして戻ってきた高橋が、静かに報告する。

「小宮ちゃん、自分の資料が原因でトラブルになったのを気にしてたけど。私たちが責めてないって伝えたら、少し落ち着いたわ」

誰も、小宮さんを責めてはいない。問題は、他人の成果を自分のものにした平井フーズの二人だ。

それだけだ。

「……やはり、切るべきだな」

自然と口をついて出た言葉だった。もう決まっている。平井フーズとの取引は見送る。会議室の空気からも、全員が同じ結論に至っているのが分かった。
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