[慶智の王子・西園寺京の物語]ラブストーリーは一夜の過ちから始まる〜アラフォー男と三十路女の拗らせ恋愛〜
カウンターの向こうで、彼がグラスにミントを入れ、軽く押している。一瞬だけ、青く冷たい香りが鼻先をかすめた気がした。

それをきっかけに、先ほどの出来事が、無声映画のように頭の中で流れ始める。



私、小宮真帆子(こみや・まほこ)、30歳。ついさっきまで、婚約者がいた。

5年付き合い、婚約していた矢部研二(やべ・けんじ)に、突然の婚約破棄を言い渡された。その上、婚約指輪は彼の手で、乱暴に引き抜かれたのだ。

理由は『真実の愛を見つけたから』だという。こんなマンガみたいな2次元文句を、現実で口にする人がいるなんて。

でも、薄々気づいてはいた。恵子にも、何度も忠告された。

3ヶ月前、突然彼は『結婚準備のため会社を辞めろ』と言い出した。あれが合図だったのかもしれない。



大学を出て入った平井フーズ。彼と恵子とは同期だった。

社交的な彼と、目立たない私。釣り合わないと思いながらも、強いアプローチに流されて交際に発展。

25で交際が始まり、28でプロポーズ。30で結婚するはずだった。

その未来は、彼の一言で、あっさり壊れた。



初めてが、たくさんあった。
ライブ、BBQ、ダーツバー。
そして、キスと愛し合った夜。

恥ずかしいけれど、私にとってお付き合いしたのは研二だけ。



6月末、いきなり早期退職を押し付けられた。まるで決定事項だと言わんばかりに。

『結婚したら家庭に入るんだから、早いだけだろ』と。

本当は、やめたくなかった。でも私は口下手だから、営業の彼に言い負かされて、7月末に退職。幸い、契約社員として期間限定で働くことは許された。

運良く食品を扱う一流企業の伊乃国屋(いのくにや)で働くことになり、すぐに新しい職場にも慣れた。

けれど研二とは、『忙しい』を理由に会えない日が続き、この2、3ヶ月は、身体を重ねることもなかった。



数日前、そんな忙しい彼から連絡が来た。
『久しぶりに会える』と。

そして今夜の待ち合わせは、ミッドタウンのカフェBon Bon。地下鉄入口の前にあるカフェで、バレンタインにオープンして以来、恋のジンクスで話題の店だ。

私は久しぶりのデートに、昨夜奮発して買った人気ブランド『Cool Beauty』のワンピースを着た。リップを丁寧に引き直し、一つに束ねていた髪をほどく。



珍しく、研二が先に来ていた。隅のテーブルで、コーヒーを前に貧乏ゆすりをしている。
 
視線は、合わない。

久しぶりに会える嬉しさに、水を差された。明らかに、機嫌が悪い。

――会社で何かあったのかな?

一つため息を吐き、笑顔を作り、明るく振る舞う。
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