[慶智の王子・西園寺京の物語]ラブストーリーは一夜の過ちから始まる〜アラフォー男と三十路女の拗らせ恋愛〜
「失礼、驚かせてしまいましたね。社長がお待ちです。……社長、バイヤー部の小宮さんです。では、私はこれで」

本間さんはにこやかに言い、すれ違いざまに私の背中をそっと押した。そのまま自然に室内へ導かれ、気づけば私は社長室の中に立っていた。

えっ……ちょっと待って、本間さん。
帰っちゃうの?

動揺で胸がいっぱいになる。

どうしよう。一人で、彼と向き合うなんて。



緊張で、手のひらがじんわりと湿る。

そんな私をよそに、彼は落ち着いた低音で席を勧めた。

その声だけで、あの夜が一気に蘇る。甘くて、温かくて、胸がきゅっと締めつけられる記憶。私はそっと息を吸い込み、気持ちを落ち着かせようとした。

「終業後に時間を取らせてしまって、申し訳ない。君に渡したいものがあって」

彼は白い封筒を手にし、私の正面に腰を下ろした。受け取った封筒を見つめても、中身の想像がつかない。

「開けてみてくれ」

促されて顔を上げると、あの夜、優しく私を見下ろした瞳がそこにあった。



鼓動が早まる。震える指で便箋を取り出し、三つ折りを開く。

――息を呑んだ。

中に入っていたのは、1万円札と5千円札。

あの日、テーブルに置いてきた『あのお金』だった。



……気づいていたんだ。
私が、あの夜の女だって。

喉がひくりと鳴り、うまく息ができなくなる。心臓が、内側から叩きつけられるみたいに痛い。

何も言えずにいる私に、彼は静かに問いかけた。

「その様子だと……俺が、あの夜の男だって気づかなかったんだろう?」

――違う。
私は、もうとっくに気づいていた。

会議室で資料を渡した、あの瞬間に。

「……わかってました。社長だと……」



そう告げた途端、彼の瞳から、すっと温度が消えた。

代わりに宿ったのは、氷のように冷たい色。

「……フッ。やっぱり、そういう目で見てたのか」

初めて聞く、刺すような低い声に、背筋がぞくりと凍る。

「俺が社長だとわかってて、近づいてきたんだろ? ……見事だな。すっかり騙された」



胸の奥が、きつく締めつけられた。

ちがう。
声をかけてきたのは、あなたのほうなのに。

言いたいのに、喉が固まって、言葉にならない。



「……その金は、君のものだ。二度と、俺の前に現れるな」

突き放すような声。

胃の奥が、ぎゅっと縮む。

この人は……本当に、あの夜の人なの?

ネックレスを外してくれた、あの優しさは、もうどこにもなかった。

今、彼の目にあるのは、はっきりとした拒絶と軽蔑。

それは、研二が婚約破棄を告げたときに向けてきた、あの視線と同じだった。

……これ以上いたら、壊れてしまう。

私は無言で席を立ち、封筒を落としたことにも気づかないまま、ただ逃げるように社長室をあとにした。







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