[慶智の王子・西園寺京の物語]ラブストーリーは一夜の過ちから始まる〜アラフォー男と三十路女の拗らせ恋愛〜
アパートに戻り、ドアを閉めた瞬間、張り詰めていた糸がぷつんと切れた。

靴も脱がないまま、その場に崩れ落ちる。

堪えていた涙が、一気にあふれ出した。

どうやってここまで帰ってきたのか、覚えていない。電車に乗った記憶も、駅を歩いた記憶もない。

まるで、心だけが途中に置き去りにされたみたいだった。



……あれは、現実だったのだろうか。

社長室での、あの冷たい言葉。

一体、どうしてあんなに怒らせてしまったんだろう。

頭の中で、彼の声が何度も繰り返される。

『その金は、君のものだ。二度と、俺の前に現れるな』



どうして、こんなにも傷つくんだろう。

婚約破棄のときよりも、ずっと、心が痛い。

恋人ですらなかったのに。

たった一夜の出来事で、名前さえ知らなかった人なのに。

……それでも。

どこかで、あの夜の優しい彼を信じてしまっていたから。



バカだな。

期待なんて、しちゃって。

彼が社長だと知っていたら、あの夜は――

きっと、選ばなかった。

そう思ってしまう自分が、どうしようもなく情けない。

会社、辞めよう。



せっかく主任や部長が支えてくれて、正社員になれたのに。

全部、無駄にしてしまった。

でも、これ以上あの人のそばにいたら、また傷つくだけだ。

消えてしまいたいほど、胸が痛む。

……九州の実家に、帰ろうか。

ここには、もう、私の居場所なんてない気がした。



翌朝。

目を覚ました瞬間から、体が重い。まぶたは腫れ、全身が鉛のようにだるかった。

出勤の準備をしようと立ち上がった、その瞬間。

突然、こみ上げてきた吐き気に耐えきれず、トイレへ駆け込む。



……風邪?
それとも、ストレス?

とにかく、今日は無理だ。

高橋主任に『体調不良で休みます』とだけメッセージを送り、再び布団に潜り込んだ。



けれど、時間が経っても、気分は良くならない。

何か温かいものを口にしようとキッチンへ向かったが、炊きたてのご飯の匂いが、耐えがたいほど強く感じられた。

うっ……。

き、気持ち悪い……。



ふらつきながらトイレへ戻り、また胃液を吐く。

これは……ただの疲れじゃない。

以前、大家さんに教えてもらった『花村レディースクリニック』のことを思い出し、午後の診察を予約することにした。
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