[慶智の王子・西園寺京の物語]ラブストーリーは一夜の過ちから始まる〜アラフォー男と三十路女の拗らせ恋愛〜
朝の通勤ラッシュとは逆方向へ向かう電車に揺られながら、私はただ、無心だった。会社へ向かう人の流れから外れたことに、少しだけ安堵している自分がいた。
柔軟剤や香水の匂いが押し寄せる車内に耐えきれず、何度も途中下車しては、トイレへ駆け込む。
アパートに戻った時には、もう体力は残っていなかった。靴を脱ぎ散らかしたまま、ソファへ崩れ落ちる。
しばらくして、冷蔵庫から炭酸水を一本取り出し、一口だけ飲んでからベッドへ向かった。
横になると、携帯の通知ライトが点滅しているのが目に入る。画面には、高橋主任からのメッセージが表示されていた。
『小宮ちゃん、無事に家に帰れたかしら?
社長に小宮ちゃんの体調のことを聞きました。今週末はゆっくり休んでね。何かあったら、いつでも連絡して。お大事に』
その文面を見て、今朝、会社に連絡していなかったことに気づく。驚いたのと同時に、彼が私の体調を主任に伝えていたという事実に、胸が複雑に揺れた。
あんなふうに、冷たく言い放ったのに。
きっと、ただの業務連絡か。
彼の『帰りなさい。迷惑だ』という声が、何度も何度も胸を刺す。
私は、迷惑な存在なんだ。
そう思えば、全部が片付く気がした。
涙が頬を伝う。喉の奥が痛くて、呼吸も苦しい。小さな命のことを思いながら、泣きながら、すべてに押し潰されそうになる。
それでも――彼を、嫌いになれなかった。
洗面所の引き出しの奥に、小さく畳まれた銀色の紙がある。あの夜、ワインボトルを開けたときのもの。
左薬指の傷を避けるように、彼はそれを指の根元に、くるりと巻いてくれた。冗談みたいに、でも不思議と丁寧に。
翌朝、捨てようとして――できなかった。
指輪でも、約束でもない。
それでも、確かに彼が触れた証。
今でも、捨てられずにいる。
御曹司でも、社長でもない。
あの夜の、優しい彼が忘れられない。
甘い声。
丁寧な手つき。
あたたかい胸のぬくもり。
全部が、心に残って、離れない。
そっと、お腹に手を添える。まだ何の変化もないその場所に、静かに語りかけるように、目を閉じた。
結論は、まだ出せない。
でも、きっと私は――
もう……
答えを、わかっている気がする。
柔軟剤や香水の匂いが押し寄せる車内に耐えきれず、何度も途中下車しては、トイレへ駆け込む。
アパートに戻った時には、もう体力は残っていなかった。靴を脱ぎ散らかしたまま、ソファへ崩れ落ちる。
しばらくして、冷蔵庫から炭酸水を一本取り出し、一口だけ飲んでからベッドへ向かった。
横になると、携帯の通知ライトが点滅しているのが目に入る。画面には、高橋主任からのメッセージが表示されていた。
『小宮ちゃん、無事に家に帰れたかしら?
社長に小宮ちゃんの体調のことを聞きました。今週末はゆっくり休んでね。何かあったら、いつでも連絡して。お大事に』
その文面を見て、今朝、会社に連絡していなかったことに気づく。驚いたのと同時に、彼が私の体調を主任に伝えていたという事実に、胸が複雑に揺れた。
あんなふうに、冷たく言い放ったのに。
きっと、ただの業務連絡か。
彼の『帰りなさい。迷惑だ』という声が、何度も何度も胸を刺す。
私は、迷惑な存在なんだ。
そう思えば、全部が片付く気がした。
涙が頬を伝う。喉の奥が痛くて、呼吸も苦しい。小さな命のことを思いながら、泣きながら、すべてに押し潰されそうになる。
それでも――彼を、嫌いになれなかった。
洗面所の引き出しの奥に、小さく畳まれた銀色の紙がある。あの夜、ワインボトルを開けたときのもの。
左薬指の傷を避けるように、彼はそれを指の根元に、くるりと巻いてくれた。冗談みたいに、でも不思議と丁寧に。
翌朝、捨てようとして――できなかった。
指輪でも、約束でもない。
それでも、確かに彼が触れた証。
今でも、捨てられずにいる。
御曹司でも、社長でもない。
あの夜の、優しい彼が忘れられない。
甘い声。
丁寧な手つき。
あたたかい胸のぬくもり。
全部が、心に残って、離れない。
そっと、お腹に手を添える。まだ何の変化もないその場所に、静かに語りかけるように、目を閉じた。
結論は、まだ出せない。
でも、きっと私は――
もう……
答えを、わかっている気がする。