[慶智の王子・西園寺京の物語]ラブストーリーは一夜の過ちから始まる〜アラフォー男と三十路女の拗らせ恋愛〜
第5章: 破壊
真帆子
その夜、仕事帰りの恵子が部屋に来てくれた。
ドアを開けた瞬間、彼女は口をあんぐり開けたまま、言葉を失った。
「……感染するものじゃないから」
慌てて、そんな言い訳をする。
上下スウェットに寝癖、ひどい顔色の私。
まるで、何日も眠っていない人みたいだ。
自分でも、今の自分がどう見えているのかは、わかっていた。鏡に映る顔は、明らかに『眠れていない人』のそれで、病気だと言われたほうが、まだ説明がつく。
今すぐ『妊娠している』と正直に言えば、一番早いのに。でも、それを口にした瞬間、何かが決定的に変わってしまう気がして、言えなかった。
私はいつも、そうだ。
事実よりも先に、相手の反応を想像してしまう。そして、その想像に自分で傷ついて、何も言えなくなる。
「ちょっと真帆子、あんた病気なの!?」
「ち、違うよ。昨日ちゃんと病院行ったから」
それでも、彼女は納得しない。
結局、外出はやめて、デリバリーを取ることになった。つわりで食欲はないけれど、恵子と一緒なら、少しは食べられるかもしれない。
注文を終えると、彼女が静かに聞いた。
「……一体、何があったの?」
迷いながら、私は口を開いた。
「……覚えてる? 婚約破棄の夜のこと」
「もちろん! あのワンナイトの彼でしょ? まさか再会したの!?」
恵子の目が輝く。
でも、現実はお姫様物語みたいに甘くない。
私は、彼と再会した日から今日までのことを、すべて話した。そして、妊娠していることも。
話を聞き終えた恵子は、少し黙ってから、携帯をいじりながら言った。
「ねえ、もう一度、その夜のこと話して。なんか引っかかるのよ」
彼女の勘の鋭さには、いつも驚かされる。
私は、もう一度、最初から話をなぞった。
甘くて、切ない一夜。
冷たい再会。
誤解と、沈黙。
どれも言葉にしてしまえば、簡単なのに、
感情だけが、ずっと置き去りのままだった。
きれいに並べてしまえば、それで整理がついたような気がする。
でも、実際は、どれもまだ体のどこかに残っている。思い出そうとしなくても、ふとした瞬間に、胸の奥が疼く。
あの夜の温度も、
再会したときの冷たい視線も、
どちらも、確かに同じ人のものだった。
言葉を交わさなかった時間が、いちばん多くのものを壊していく。
それでも、彼を嫌いになれない。
あの人と出会ったから、私は前を向けた。
そして、彼との間に、小さな命が宿った。
それだけで、あの夜に意味があったと思いたい。
……そう思い込もうとしているだけなのかもしれない。
それでも、意味がなかったことにしてしまったら、私はきっと、前に進めない。
逃げでも、自己弁護でもいい。今はまだ、そうやって自分を支えるしかなかった。
何度かトイレに駆け込みながら、話し終えると、チャイムが鳴った。
「きっと、デリバリーだね」
恵子が袋を二つ持って戻ってくる。
一つはお蕎麦屋さん。もう一つは、Mナルドのポテト。
「お姉ちゃんが妊娠中、ポテトだけ食べられたんだって。不思議よね」
そう言って笑う恵子を見て、胸がじんわり温かくなった。
さっき携帯をいじっていたのは、この注文のためだったんだ。
ドアを開けた瞬間、彼女は口をあんぐり開けたまま、言葉を失った。
「……感染するものじゃないから」
慌てて、そんな言い訳をする。
上下スウェットに寝癖、ひどい顔色の私。
まるで、何日も眠っていない人みたいだ。
自分でも、今の自分がどう見えているのかは、わかっていた。鏡に映る顔は、明らかに『眠れていない人』のそれで、病気だと言われたほうが、まだ説明がつく。
今すぐ『妊娠している』と正直に言えば、一番早いのに。でも、それを口にした瞬間、何かが決定的に変わってしまう気がして、言えなかった。
私はいつも、そうだ。
事実よりも先に、相手の反応を想像してしまう。そして、その想像に自分で傷ついて、何も言えなくなる。
「ちょっと真帆子、あんた病気なの!?」
「ち、違うよ。昨日ちゃんと病院行ったから」
それでも、彼女は納得しない。
結局、外出はやめて、デリバリーを取ることになった。つわりで食欲はないけれど、恵子と一緒なら、少しは食べられるかもしれない。
注文を終えると、彼女が静かに聞いた。
「……一体、何があったの?」
迷いながら、私は口を開いた。
「……覚えてる? 婚約破棄の夜のこと」
「もちろん! あのワンナイトの彼でしょ? まさか再会したの!?」
恵子の目が輝く。
でも、現実はお姫様物語みたいに甘くない。
私は、彼と再会した日から今日までのことを、すべて話した。そして、妊娠していることも。
話を聞き終えた恵子は、少し黙ってから、携帯をいじりながら言った。
「ねえ、もう一度、その夜のこと話して。なんか引っかかるのよ」
彼女の勘の鋭さには、いつも驚かされる。
私は、もう一度、最初から話をなぞった。
甘くて、切ない一夜。
冷たい再会。
誤解と、沈黙。
どれも言葉にしてしまえば、簡単なのに、
感情だけが、ずっと置き去りのままだった。
きれいに並べてしまえば、それで整理がついたような気がする。
でも、実際は、どれもまだ体のどこかに残っている。思い出そうとしなくても、ふとした瞬間に、胸の奥が疼く。
あの夜の温度も、
再会したときの冷たい視線も、
どちらも、確かに同じ人のものだった。
言葉を交わさなかった時間が、いちばん多くのものを壊していく。
それでも、彼を嫌いになれない。
あの人と出会ったから、私は前を向けた。
そして、彼との間に、小さな命が宿った。
それだけで、あの夜に意味があったと思いたい。
……そう思い込もうとしているだけなのかもしれない。
それでも、意味がなかったことにしてしまったら、私はきっと、前に進めない。
逃げでも、自己弁護でもいい。今はまだ、そうやって自分を支えるしかなかった。
何度かトイレに駆け込みながら、話し終えると、チャイムが鳴った。
「きっと、デリバリーだね」
恵子が袋を二つ持って戻ってくる。
一つはお蕎麦屋さん。もう一つは、Mナルドのポテト。
「お姉ちゃんが妊娠中、ポテトだけ食べられたんだって。不思議よね」
そう言って笑う恵子を見て、胸がじんわり温かくなった。
さっき携帯をいじっていたのは、この注文のためだったんだ。