[慶智の王子・西園寺京の物語]ラブストーリーは一夜の過ちから始まる〜アラフォー男と三十路女の拗らせ恋愛〜
そばサラダと明太子うどん、ポテトを分け合いながら、話は続いた。
「一番引っかかるのはさ、あの社長のセリフ。『俺が社長だとわかってて、近づいてきたんだろ? すっかり騙されたよ』ってやつ」
恵子の声が、少し真剣になる。
「最初に声をかけたのは、彼のほうでしょ?
真帆子が『彼=社長』って気づいたの、あとだったんだよね?」
私は、黙って頷いた。
そう。会議室で初めて気づいたのに、彼は『最初から知っていた』と誤解した。
「『気づかなかったんだろ?』って聞かれて、『わかってました、社長だと』って答えたんでしょ? それ、『後で気づいた』って意味で言ったんだよね?」
「……うん」
「でも彼は、『最初から知ってた』って思い込んだんだ」
そう。たった一言の、すれ違い。
それで私は、『騙した女』になった。
言い返せなかった。
言い返さなかったんじゃない。
言い返せなかった。
その場で正しく説明しようとすればするほど、言葉の順番が頭の中で絡まっていく。
『最初から知っていたわけじゃない』と言えば、『じゃあ、なぜあんな態度を取った』と返される気がした。
誤解を解くための言葉が、次の誤解を生む気がして、私は黙るしかなかった。そうやって、いつも自分の中で話を終わらせてしまう。それが一番、相手を怒らせない方法だと、信じてきたから。
恵子が、携帯を差し出してくる。
画面には、『慶智の王子たち』の特集記事。
彼と仲間たち――
近衛彰人、伊集院涼介、九条仁、烏丸兄弟、西園寺兄弟。
華やかな顔ぶれが、ずらりと並んでいる。
「……すごい……」
それしか、言葉が出なかった。
そして、すべてが繋がっていたことに気づく。背中に冷水を浴びせられたみたいに、ぞくりとした。
彼の世界は、私が思っていたより、ずっと大きかった。ひとりの男として向き合っていた時間が、急に、遠くへ引き離される。
彼の背後には、同じような立場の人たちがいて、同じような視線で、私を見る人間が何人もいる。
そう思った途端、私の存在は、ひどくちっぽけなものに思えた。
名前も、仕事も、過去も、すべてが『社長に近づいた女』という一行にまとめられてしまう。説明する前に、もう物語は出来上がっている。
そういう世界があることを、私は知っていたはずなのに。
――もし、彼らに妊娠が知られたら……?
右手が、無意識に下腹部へ伸びる。
赤ちゃんを奪われる?
中絶を迫られる?
頭では、考えすぎだとわかっている。それでも、そう簡単に済まない世界があることも、私は知っていた。
彼のいる、眩しすぎる世界は、私のような普通の人間が生きてきた場所とは、あまりにも違う。
お金も、立場も、影響力も揃った人たちが、何かを『問題』だと判断したとき、私ひとりの意思なんて、簡単に押し流されてしまうんじゃないか。
そうやって踏み潰された人の話を、私はいくつも見てきた。だから、そう思ってしまう自分を、止めることができなかった。
「肩書き目当てで近づく女が多かったんだろうね。でも、真帆子を責めるのは違う!」
恵子が、少し声を荒げる。
「……しょうがないよ。私も、何も言えなかったし」
「悔しいよ。あんたは、そんな子じゃない。
……それに、もう決めたんでしょ?」
「……え?」
「今、無意識にお腹に手を当ててた」
はっとして、私は手を引っ込めた。
妊娠を知ったときは、否定しかなかった。
『そんなはずない』って、何度も。
でも、あの超音波の小さな影を見た瞬間、
胸が締めつけられて、涙が出るほど、愛おしいと思った。
理由は、わからない。ただ、その存在を否定することだけは、もうできなかった。私の中で、守りたいものが一つ、はっきり形を持ってしまった。
それでも、まだ迷っている。
仕事。
親。
生活……。
現実は、重い。
母親になる覚悟なんて、あるんだろうか。
けれど、心の奥で、何かが確かに変わり始めていた。
「一番引っかかるのはさ、あの社長のセリフ。『俺が社長だとわかってて、近づいてきたんだろ? すっかり騙されたよ』ってやつ」
恵子の声が、少し真剣になる。
「最初に声をかけたのは、彼のほうでしょ?
真帆子が『彼=社長』って気づいたの、あとだったんだよね?」
私は、黙って頷いた。
そう。会議室で初めて気づいたのに、彼は『最初から知っていた』と誤解した。
「『気づかなかったんだろ?』って聞かれて、『わかってました、社長だと』って答えたんでしょ? それ、『後で気づいた』って意味で言ったんだよね?」
「……うん」
「でも彼は、『最初から知ってた』って思い込んだんだ」
そう。たった一言の、すれ違い。
それで私は、『騙した女』になった。
言い返せなかった。
言い返さなかったんじゃない。
言い返せなかった。
その場で正しく説明しようとすればするほど、言葉の順番が頭の中で絡まっていく。
『最初から知っていたわけじゃない』と言えば、『じゃあ、なぜあんな態度を取った』と返される気がした。
誤解を解くための言葉が、次の誤解を生む気がして、私は黙るしかなかった。そうやって、いつも自分の中で話を終わらせてしまう。それが一番、相手を怒らせない方法だと、信じてきたから。
恵子が、携帯を差し出してくる。
画面には、『慶智の王子たち』の特集記事。
彼と仲間たち――
近衛彰人、伊集院涼介、九条仁、烏丸兄弟、西園寺兄弟。
華やかな顔ぶれが、ずらりと並んでいる。
「……すごい……」
それしか、言葉が出なかった。
そして、すべてが繋がっていたことに気づく。背中に冷水を浴びせられたみたいに、ぞくりとした。
彼の世界は、私が思っていたより、ずっと大きかった。ひとりの男として向き合っていた時間が、急に、遠くへ引き離される。
彼の背後には、同じような立場の人たちがいて、同じような視線で、私を見る人間が何人もいる。
そう思った途端、私の存在は、ひどくちっぽけなものに思えた。
名前も、仕事も、過去も、すべてが『社長に近づいた女』という一行にまとめられてしまう。説明する前に、もう物語は出来上がっている。
そういう世界があることを、私は知っていたはずなのに。
――もし、彼らに妊娠が知られたら……?
右手が、無意識に下腹部へ伸びる。
赤ちゃんを奪われる?
中絶を迫られる?
頭では、考えすぎだとわかっている。それでも、そう簡単に済まない世界があることも、私は知っていた。
彼のいる、眩しすぎる世界は、私のような普通の人間が生きてきた場所とは、あまりにも違う。
お金も、立場も、影響力も揃った人たちが、何かを『問題』だと判断したとき、私ひとりの意思なんて、簡単に押し流されてしまうんじゃないか。
そうやって踏み潰された人の話を、私はいくつも見てきた。だから、そう思ってしまう自分を、止めることができなかった。
「肩書き目当てで近づく女が多かったんだろうね。でも、真帆子を責めるのは違う!」
恵子が、少し声を荒げる。
「……しょうがないよ。私も、何も言えなかったし」
「悔しいよ。あんたは、そんな子じゃない。
……それに、もう決めたんでしょ?」
「……え?」
「今、無意識にお腹に手を当ててた」
はっとして、私は手を引っ込めた。
妊娠を知ったときは、否定しかなかった。
『そんなはずない』って、何度も。
でも、あの超音波の小さな影を見た瞬間、
胸が締めつけられて、涙が出るほど、愛おしいと思った。
理由は、わからない。ただ、その存在を否定することだけは、もうできなかった。私の中で、守りたいものが一つ、はっきり形を持ってしまった。
それでも、まだ迷っている。
仕事。
親。
生活……。
現実は、重い。
母親になる覚悟なんて、あるんだろうか。
けれど、心の奥で、何かが確かに変わり始めていた。