[慶智の王子・西園寺京の物語]ラブストーリーは一夜の過ちから始まる〜アラフォー男と三十路女の拗らせ恋愛〜
翌日の昼休み、私は伊集院総合法律事務所を訪れた。慰謝料の最終確認のために。
伊集院涼介先生は、いつものように冷静な表情で迎えてくれる。初めて見る先生の眼鏡姿が、一段と目つきを鋭くしていた。
「小宮さん、慰謝料は矢部研二氏と白川麗華氏、双方の実家から一括で支払われました。
これで手続きはすべて完了です」
「あ、ありがとうございます」
深く頭を下げると、先生は淡々と続けた。
「ただし、二人が再び接触しない保証はありません。私はこの件を『終わり』にはしませんので。今後も経過を見ます」
「えっ、でも……もう――」
「報酬には監視も含まれています。こちらの判断で続けます」
冷たく聞こえるその声に、確かな守る意志が滲んでいた。でも完全に慶智の王子たちとの縁を断てていない現実に、動揺を隠しきれなかった。
呼吸が浅くなり、暑くもないのにジトッと額に汗が浮かぶのがわかる。
「小宮さん、体調は大丈夫ですか? 顔色も良くないし、少し痩せられたように見えます」
その眼鏡の奥の眼差しに、息が詰まった。
まずい。
絶対に悟られちゃダメ!
「つ、疲れが溜まっているだけです。ご心配ありがとうございます」
平静を装い、無理して口角を上げる。そして逃げるように、事務所を後にした。
一つまた、肩の荷が下りた気がしたけれど、まだ完全に終わってはいない。
その日の終業後、主任に連れられてミッドタウンのヨーロピアンバルへ。
店の奥には、主任の親友で内科医の葵さんが待っていた。
「こんばんは、小宮さん。今日はゆっくり
お話ししましょう。真帆子ちゃんと呼んでもいいかしら?」
上品で、やわらかな笑顔。すぐに緊張がほどけた。
葵さんによると、医療事務は資格がなくても始められるが、取っておくと有利だという。
主任は『今の仕事を続けながらリモートで
勉強を』と提案してくれた。
「それなら出産前まで無理なく働けるでしょ。どう?」
「はい。挑戦してみます」
また一つ安心を得て、ほっとした。
——このときの私は、これが罠の入り口だなんて、思いもしなかった。
「ところで真帆子ちゃん、出産予定はどこの病院?」
「近所の花村レディースクリニックです」
「あら、久美子先生? 彼女、私の義妹のお母様なの。狭い世間ね!」
「えっ……?」
驚いている私に、主任が笑顔で補足する。
「葵の弟、カフェBonBonの社長なのよ。
ネットで見たことない?」
――カフェBonBon。
西園寺雅。
西園寺京さんの弟。
じゃあ葵さんは……京さん、社長の妹?
ごくりと、生つばを飲み込む。喉が鳴った音だけが、やけに大きく聞こえた。思考が一気に混乱していく。
「ちなみに私の婚約者は、近衛彰人先生。
会ったことあるでしょう?」
その瞬間、血の気がサッと引いた。
花村先生、
葵さん、
主任、
西園寺兄弟、
近衛先生、
伊集院先生――
すべて、繋がっていた。
どうしよう。
逃げ場がない。
断ち切ろうともがくほど、西園寺京という
存在の鎖に、音もなく締めつけられる。
フォークが指の間から滑り落ち、冷たい金属音を立てた。
無意識に、私はお腹をかばうように腕を抱え込んだ。
「小宮ちゃん? 顔色が――」
「ご、ごめんなさい。このお話、なかったことにしてください」
声を絞り出し、主任の言葉を遮る。震えが
止まらない手でバッグを掴んで立ち上がる。
その瞬間、視界がぐにゃりと歪み、砂嵐みたいに世界がサッと真っ暗になった。身体の感覚が遠のいていく。音も、光も、すべてが消えていく。
『お願いだから、私を解放して』
そんな思いを最後に。
伊集院涼介先生は、いつものように冷静な表情で迎えてくれる。初めて見る先生の眼鏡姿が、一段と目つきを鋭くしていた。
「小宮さん、慰謝料は矢部研二氏と白川麗華氏、双方の実家から一括で支払われました。
これで手続きはすべて完了です」
「あ、ありがとうございます」
深く頭を下げると、先生は淡々と続けた。
「ただし、二人が再び接触しない保証はありません。私はこの件を『終わり』にはしませんので。今後も経過を見ます」
「えっ、でも……もう――」
「報酬には監視も含まれています。こちらの判断で続けます」
冷たく聞こえるその声に、確かな守る意志が滲んでいた。でも完全に慶智の王子たちとの縁を断てていない現実に、動揺を隠しきれなかった。
呼吸が浅くなり、暑くもないのにジトッと額に汗が浮かぶのがわかる。
「小宮さん、体調は大丈夫ですか? 顔色も良くないし、少し痩せられたように見えます」
その眼鏡の奥の眼差しに、息が詰まった。
まずい。
絶対に悟られちゃダメ!
「つ、疲れが溜まっているだけです。ご心配ありがとうございます」
平静を装い、無理して口角を上げる。そして逃げるように、事務所を後にした。
一つまた、肩の荷が下りた気がしたけれど、まだ完全に終わってはいない。
その日の終業後、主任に連れられてミッドタウンのヨーロピアンバルへ。
店の奥には、主任の親友で内科医の葵さんが待っていた。
「こんばんは、小宮さん。今日はゆっくり
お話ししましょう。真帆子ちゃんと呼んでもいいかしら?」
上品で、やわらかな笑顔。すぐに緊張がほどけた。
葵さんによると、医療事務は資格がなくても始められるが、取っておくと有利だという。
主任は『今の仕事を続けながらリモートで
勉強を』と提案してくれた。
「それなら出産前まで無理なく働けるでしょ。どう?」
「はい。挑戦してみます」
また一つ安心を得て、ほっとした。
——このときの私は、これが罠の入り口だなんて、思いもしなかった。
「ところで真帆子ちゃん、出産予定はどこの病院?」
「近所の花村レディースクリニックです」
「あら、久美子先生? 彼女、私の義妹のお母様なの。狭い世間ね!」
「えっ……?」
驚いている私に、主任が笑顔で補足する。
「葵の弟、カフェBonBonの社長なのよ。
ネットで見たことない?」
――カフェBonBon。
西園寺雅。
西園寺京さんの弟。
じゃあ葵さんは……京さん、社長の妹?
ごくりと、生つばを飲み込む。喉が鳴った音だけが、やけに大きく聞こえた。思考が一気に混乱していく。
「ちなみに私の婚約者は、近衛彰人先生。
会ったことあるでしょう?」
その瞬間、血の気がサッと引いた。
花村先生、
葵さん、
主任、
西園寺兄弟、
近衛先生、
伊集院先生――
すべて、繋がっていた。
どうしよう。
逃げ場がない。
断ち切ろうともがくほど、西園寺京という
存在の鎖に、音もなく締めつけられる。
フォークが指の間から滑り落ち、冷たい金属音を立てた。
無意識に、私はお腹をかばうように腕を抱え込んだ。
「小宮ちゃん? 顔色が――」
「ご、ごめんなさい。このお話、なかったことにしてください」
声を絞り出し、主任の言葉を遮る。震えが
止まらない手でバッグを掴んで立ち上がる。
その瞬間、視界がぐにゃりと歪み、砂嵐みたいに世界がサッと真っ暗になった。身体の感覚が遠のいていく。音も、光も、すべてが消えていく。
『お願いだから、私を解放して』
そんな思いを最後に。