[慶智の王子・西園寺京の物語]ラブストーリーは一夜の過ちから始まる〜アラフォー男と三十路女の拗らせ恋愛〜
「……っ」
一体何杯、飲んだんだろう?
眠気と痛む頭に手を添えながら、私はゆっくりと身を起こした。何だか体もだるくて、起きずらい。それに、見慣れない天井。
カーテンの向こうに、薄いベールをかけた古い写真みたいな色が広がっている。朝なのか、まだ夜の続きなのか、一瞬わからなくなる。9月の終わりの夜明けは遅い。
左手首の時計は、5時を指していた。
もう少しだけ眠れる。
……金曜日か。
会社、行きたくない。
ベッドカバーを手繰り寄せたとき、息が詰まった。上半身、何も着ていない。
そっとカバーの中を覗く。まるごと、裸だった。
ごくり、と喉が鳴り、恐る恐る隣を見る。
整った顔立ちの男性が、上半身裸のまま静かに眠っていた。
声が出そうになって、慌てて口を手で塞ぐ。足音を殺してスルリとベッドを抜け、散らばった下着とワンピースを素早く身につけた。
バッグとヒールを手に、ドアノブに触れる。冷たい感触に、指先が強張る。
ふと、現実が追いつく。
部屋代……いくらだろう。
確かここはホテル9(クー)、高級だ。
手持ち、どのくらい?
財布を開けると、中には1万5千円。それを抜き、メモを一枚。ナイトスタンドの腕時計を、テーブルのメモの上に移す。
この人の目に留まるよう、そっと置いた。
逃げるようでいて、無責任にはなりたくなかったから。
『手持ちがこれだけしかありません。ごめんなさい』
私は、そっと部屋を出た。
自宅の脱衣所でワンピースを脱いだとき、指から床に小さな銀色が落ちた。拾い上げて、首を傾げる。
確か昨夜、あの人に巻かれたもの?
ただの紙片だ。
捨てればいい。
そう思って、ゴミ箱の上で一度、手が止まる。理由は分からない。結局、洗面台の引き出しにしまった。
どれだけ頭が痛くても、どれだけ行きたくなくても、シャワーを浴びて会社へ行く。
哀れな社会人の習性だった。
鏡の前で、黒縁のブルーライトカット眼鏡(度なし)をかける。腫れた目、少しは隠れる。
朝の電車は、いつもより混んでいた。
吊革につかまりながら、車窓に映る自分の顔をぼんやり眺めている。
まるで他人を見ているように。黒縁の眼鏡の奥で、目はまだ少し腫れていた。
電車の揺れに合わせて、昨夜を思い出す。
曖昧な映像が、間を飛びながら繋がる。
ワインのグラス。
笑い声。
低い、落ち着いた声。
甘いムスク。
長い指。
大きな手。
――初めて、感じた。
頬が熱くなる。
さっき、脱衣所の鏡に映った自分。
腫れた瞼、胸元の赤い跡。
研二とは違った。
痛みではなかった。
優しさと、息づかい。
名前も知らない人と、一夜を共にした。
真面目な私が。
馬鹿みたい?
それでも昨夜の逞しい腕は、傷ついた心を温かく包み込んでくれた。
都合よく抱かれただけ……かもしれない。
彼にとって私は『簡単な女』。
もう二度と会うこともない。
でも、昨夜があったから、私は今まだこうして立っていられる。
唇に指を当てて、そっとなぞる。
キスの感触が、ゆっくりと戻ってくる。
――あんな人が、恋人だったら。
電車の窓に流れる景色を見ながら、そう思った。
一体何杯、飲んだんだろう?
眠気と痛む頭に手を添えながら、私はゆっくりと身を起こした。何だか体もだるくて、起きずらい。それに、見慣れない天井。
カーテンの向こうに、薄いベールをかけた古い写真みたいな色が広がっている。朝なのか、まだ夜の続きなのか、一瞬わからなくなる。9月の終わりの夜明けは遅い。
左手首の時計は、5時を指していた。
もう少しだけ眠れる。
……金曜日か。
会社、行きたくない。
ベッドカバーを手繰り寄せたとき、息が詰まった。上半身、何も着ていない。
そっとカバーの中を覗く。まるごと、裸だった。
ごくり、と喉が鳴り、恐る恐る隣を見る。
整った顔立ちの男性が、上半身裸のまま静かに眠っていた。
声が出そうになって、慌てて口を手で塞ぐ。足音を殺してスルリとベッドを抜け、散らばった下着とワンピースを素早く身につけた。
バッグとヒールを手に、ドアノブに触れる。冷たい感触に、指先が強張る。
ふと、現実が追いつく。
部屋代……いくらだろう。
確かここはホテル9(クー)、高級だ。
手持ち、どのくらい?
財布を開けると、中には1万5千円。それを抜き、メモを一枚。ナイトスタンドの腕時計を、テーブルのメモの上に移す。
この人の目に留まるよう、そっと置いた。
逃げるようでいて、無責任にはなりたくなかったから。
『手持ちがこれだけしかありません。ごめんなさい』
私は、そっと部屋を出た。
自宅の脱衣所でワンピースを脱いだとき、指から床に小さな銀色が落ちた。拾い上げて、首を傾げる。
確か昨夜、あの人に巻かれたもの?
ただの紙片だ。
捨てればいい。
そう思って、ゴミ箱の上で一度、手が止まる。理由は分からない。結局、洗面台の引き出しにしまった。
どれだけ頭が痛くても、どれだけ行きたくなくても、シャワーを浴びて会社へ行く。
哀れな社会人の習性だった。
鏡の前で、黒縁のブルーライトカット眼鏡(度なし)をかける。腫れた目、少しは隠れる。
朝の電車は、いつもより混んでいた。
吊革につかまりながら、車窓に映る自分の顔をぼんやり眺めている。
まるで他人を見ているように。黒縁の眼鏡の奥で、目はまだ少し腫れていた。
電車の揺れに合わせて、昨夜を思い出す。
曖昧な映像が、間を飛びながら繋がる。
ワインのグラス。
笑い声。
低い、落ち着いた声。
甘いムスク。
長い指。
大きな手。
――初めて、感じた。
頬が熱くなる。
さっき、脱衣所の鏡に映った自分。
腫れた瞼、胸元の赤い跡。
研二とは違った。
痛みではなかった。
優しさと、息づかい。
名前も知らない人と、一夜を共にした。
真面目な私が。
馬鹿みたい?
それでも昨夜の逞しい腕は、傷ついた心を温かく包み込んでくれた。
都合よく抱かれただけ……かもしれない。
彼にとって私は『簡単な女』。
もう二度と会うこともない。
でも、昨夜があったから、私は今まだこうして立っていられる。
唇に指を当てて、そっとなぞる。
キスの感触が、ゆっくりと戻ってくる。
――あんな人が、恋人だったら。
電車の窓に流れる景色を見ながら、そう思った。