暁に星の花を束ねて
温室の奥。
長身の影が、背を向けたまま静かに立っていた。

この場所は自分しか入れないはず。
それなのに。

気配に気付いたのか、その人物はゆっくりと振り返る。

「……え?」

葵の喉が掠れ、視線はその男に釘付けになった。

入社式で壇上に立っていたあの男、佐竹 蓮。

だが——。

あの時見た柔らかな微笑は、そこにはなかった。
黒曜のような瞳は氷のように冷えきり、無慈悲な光を湛えて葵を真っ直ぐに射抜いた。

彼はゆっくりと歩み寄り、見下ろすように言い放つ。

「随分と無防備だな。鍵もかけずに……いったい何を守るつもりだ」

その声は鋼の刃のように鋭く、葵の胸を容赦なく貫いた。

「か、鍵は……」

振り返る。
だが確かに掛けたはずの扉は、静かに半開きになっている。

(そんな……どうして……)

佐竹は鼻先で冷たく笑うと、氷の刃のような声で言い放った。

「無力な人間の不注意。それが、どれほど他人の時間と神経を浪費するか……わかってないな、君は」

葵が小さく息を呑む。

「学者の自負は結構だが、セキュリティ意識の欠如は罪だ。ましてや、SHTの研究員を名乗るのなら」

彼の言葉は容赦がなく、まるでひとつひとつが罪状の読み上げだった。

「鍵もかけず、監視の死角でうろつき、己の背を無防備に晒す……敵が待ってましたとばかりに襲われたとき、君はどうする。「植物と会話してました」で済むとでも?」

葵は目を伏せた。
胸の奥が焼けるように熱い。

だが佐竹の追撃は止まらない。

「研究の腕前は知らないが、命の扱いがそれでは話にならない。君が蒔いた不始末の種は、誰が刈り取ると思っている」

吐き捨てるような声。
だがそこには奇妙な執念と、苛立ちに近い色が混じっていた。

「この庭園は遊び場じゃない。ここでひとつ歯車が狂えば、何人の命が連鎖して崩れるか、君の計算式にはないようだな」

そして一歩踏み出すと、囁くように低く告げた。

「星野葵。君の無自覚は、花だけじゃない。誰かの未来すら枯らしかねない」

背筋をなぞるような低音とともに、佐竹は踵を返す。

だが、ドアの前でふと立ち止まり、背を向けたまま言葉を残した。

「おれで良かったと思え。次は、運が味方するとは限らない」

静かに閉まる扉の音が、鋼の断罪のように葵の耳に残った。

残された葵は込み上げる悔しさに唇を噛み、ただその場に立ち尽くすしかなかった。

(……なんなの……わたしだって、守ってきたもの)

その足元で《ステラ・フローラ》の花弁が、まるで葵の迷いを映すように静かに、微かに揺れていた。


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