暁に星の花を束ねて
カオス・カリクス因子。


SHTが極秘裏に開発していた次世代戦術ナノ因子。
その目的は選択的抹殺。
すなわち敵集団の中から特定個体のみを狙い、破壊するというものだ。


夢と悪夢の境界はいつの時代も曖昧である。
そしてその曖昧さこそが、最も多くの命を蝕んできた。


佐竹は壁にもたれながら呼吸が浅くなるのを感じていた。


胸の奥で焦げるような灼熱。
皮膚の裏をざわめくように走る異物感。
咳き込むたびに、肺の奥から何かが剥がれ落ちてくるような痛み。


彼は叫ばなかった。


そのとき彼の頭をよぎっていたのは恐怖ではなく、理解だった。


これは事故ではない。
これは、実験だ。


理解したところで状況は変わらない。
それを納得したくなかった。

彼は最後にこう思った。


(……記録に残らない死だけはごめんだ)


彼の目が閉じられるその瞬間。
セクションDという密室に満ちたのは、毒ではなかった。


これは誰かが意図的に仕組んだ実験。


記録を消し去り真実を埋めるための完璧な、計算されたものだった。

その日、セクションDの非常異常値は上層部に送信される前に、どこかで経路を断たれていた。

SHTの衛星記録には、誰かがその通信を数秒だけ上書きした痕跡が残っている。


数秒。
それは意図を隠すには十分であり、誰かの未来を動かすにはあまりにも短い時間だった。



この日、歴史はひとつの死を記録しなかった。
この事実が、のちに二人の男を飲み込む長い因果の始まりであった。







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