暁に星の花を束ねて
診療所の裏手には、やや時代錯誤なガラス温室が広がっており、そこにいたのは善一の一人娘、葵である。
そして彼女が育てている花。


『ステラ・フローラ』。


SHTの植物系ナノ工学の試験種のひとつとして登録されるはずだったが、すでに企業の管理下からは逸脱品として抹消されていた。

この花を記録から抹消し、研究資産の名目すら与えず自らの手元に秘匿したのは他ならぬ善一である。


「……あれ? 茶色くなってきちゃった……根腐れかなぁ」


ショートカット、白いTシャツにジーンズ素材のショートパンツにスニーカー。
少年のようにも見える。

十二歳の葵はそう呟き、しゃがみ込んで導管の先端に手を当てていると、背後からかすれた声が飛んできた。


「やっぱり、おれじゃ咲かなかったか」


白衣のまま片手にカルテを抱えた善一だった。
ステラ・フローラの変色を見やり、ふっと鼻で笑った。
蕾の状態のまま咲かず、特有の金属のような香りを放っている。


「それどころか腐ってきたのか。育て主に似たんだな」

「なにそれ。ひどーい」


葵はむっとした顔を浮かべたが、それもすぐに笑いに変わった。
いつものやり取り。
それは父なりの冗談であり、何かを諦めたような響きを孕んでいた。


この花は葵の手でしか咲かない、不思議な植物だった。
母の血を受け継ぐ者にしか芽吹かぬ、静かな継承でもある。


善一の手では脈打つことさえなかった根が、葵の指先に触れたときだけ、かすかに反応する。

まるで植物が彼女を知っているかのように。

この咲かない株から、葵の鼻先をふと、鋭い匂いがかすめる。

淡く
苦く
土でもなく
花でもない。

それは薬品に似ていて金属のような、しかしどこか違う、植物が毒を吐く瞬間のような……そんな匂いだった。

「変わった匂いがする」

葵は鼻をくんくんさせながらそうつぶやいたが、返ってくるはずの皮肉な声は今は届かなかった。

善一はすでに別室のベッドに向かい怒鳴り声混じりの指示を飛ばしている。

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