暁に星の花を束ねて
しかし男は再び目を閉じる。

それを見た葵の目が、温室の奥へと向けられた。

父の薬品庫。
そして自分だけが触れることを許された花、ステラ・フローラ。


「……ステラなら……!」


葵は走り出すと誰にも聞かれることなく、棚の奥に隠していた簡易キットを取り出す。
そして抽出液の小瓶を手に取った。

葵が自分で採取した抽出液。

それを十二歳の少女の手が、ゆっくりとチューブに繋がれた薬液ポートへ針を挿す。

一滴、また一滴。

根拠も確証もない処置。
しかし彼女にとっては唯一の希望だった。


「お兄さん、がんばって!! 死んじゃだめ……っ!!」


そう呟きながら葵は男の手をそっと握った。
手は冷たい。
が、その指が揺れたような気がした。

次の瞬間だった。

男の身体がごく微かに、ぴくりと痙攣した。
葵は思わず手を引きその背中に目を向けた。

血が滲んでいる。

制服の破れ目から覗く皮膚には、いくつもの裂傷が走り、その中のひとつが深く、呼吸にあわせてじわじわと血を流していた。

一見すれば、爆発か焼却による外傷。
そう見えなくもなかった。

だが……
幼い葵の目にも、それはどこか異様だった。

火にあぶられた傷特有の、焼けただれた縁がない。
無作為に裂けた形でもない。

そこにあったのは、まるで狙って切り裂かれたような、まっすぐな鋭さ。

ぞくりと背中に寒気が走る。


「止めないと……!」


再び急いで温室の棚へ向かった。
そこにある簡易縫合キットを手に取ると滅菌パッドと針を確認し、小さく呼吸を整える。

「やらなきゃ」

自分に言い聞かせるように小さく呟きながら戻ると、男の背に膝をついた。

血で濡れた布を裂き患部を露出させる。
見てはいけないものを見るような気がして、目を細めた。

消毒を押し当てると、男の身体がまた微かに跳ねた。


「……ごめんなさい……!」


それでも手を止めるわけにはいかなかった。
彼は生きている。
その鼓動が葵の手に伝わっていた。

ふるえる指で針を持ち、一針ずつ縫ってゆく。
いびつな縫い目。
糸はすぐに絡まり、手は赤く染まった。
それでも彼女は止めなかった。

どこかで見て覚えた父の手技。
真似事でしかない。
だが今、この命の境界に他に誰もいないのなら自分がやるしかなかった。


「お願い、生きて」


血と薬剤と花の匂いが交じる中で、葵の声は祈るように細く響いていた。

そのときだった。

モニターの数字が、かすかに変化した。

「心拍上昇。血中酸素濃度、微増を確認。血圧……回復傾向」

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