暁に星の花を束ねて
だがもう取り消せなかった。

佐竹は一瞬だけ視線を逸らし、ふっと薄い笑みを浮かべた。

「勝手にしろ」

そう云いながら再び端末を取り出す。
手袋越しに操作する佐竹をみつめ、葵は問いかける。

「手袋をいつも身につけているんですか?」

葵の何気ない言葉。
しかしその瞬間、佐竹の指が止まった。

「……星野葵」

その名を呼ぶ声は低く鋭利な刃のようだった。

静かに、だが決して抗えない圧力をまとって佐竹は立ち上がる。

「そろそろ遊び時間は終わりだ」

そう言い残しカップを手に立ち上がる。
スーツの裾が陽光を弾き、迷いなくSHTの方角へと歩き出す。

思わず葵はベンチから声を上げていた。

「どうして? 本当は、何をしに来たんですか?」

佐竹は歩みを緩めることなく、ただ肩越しに答える。

「決まってるだろ。昼休みに部下の行方不明届を出す趣味はないんでな」

ほんのわずかに振り返り、切れ長の双眸が冷ややかに光を受ける。

「おまえの帰りを首を長くして待ってるぞ。泣きつく相手がいなくて、困ってる連中がな」

その背はすでに遠ざかり、刺すような余韻だけが葵の胸に残された。

そして──

(あの匂いも……いったい、なんだったんだろう……)

陽の光の中に、ほんのかすかに残るその香り。
それは焙煎豆のぬくもりの奥にひっそりと潜む、冷たく乾いた金属の匂いだった。

違和感はそのまま、微かな焦りと共に心の片隅に沈んでいった。
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