暁に星の花を束ねて
調和と星の花
観察者
「君が噂の脱走研究員か」
静かな一言が、調和部門統括室の空気をわずかに震わせた。
葵が顔を上げると、そこに立っているのは馬渡 遼(まわたり りょう)。
SHT、生命環境調和部門の統括を務める三十八歳の男だ。
白衣の下に淡いグレーカーディガンを羽織り、整った姿勢と端正な顔立ちには、どこか学者然とした落ち着きが漂っていた。
背中まである長い黒髪が、柔らかな照明を受けて艶やかに揺れている。
(……きれいな男の人……!)
思わず心の中でつぶやく。
その端正な容姿と穏やかな物腰は、SHT内で女性職員からの人気が高いという噂にもたしかに頷ける。
結衣にいたっては
『この人、調和部門のラスボスかも……』
と呟いて胸をときめかせていた。
理詰めの判断を好む冷静な男だが、その奥底に静かな情熱を秘めていると、一部では噂されている。
その眼差しは穏やかでありながら、鋭い観察者のものだった。
隣にいる桂木室長はというと、すでに顔面蒼白で椅子ごと崩れそうな勢いだ。
額の汗をぬぐう手は震えている。
「星野葵です。昨日は、本当にすみませんでした」
葵が深く頭を下げると、馬渡はわずかに口元を緩める。
「気にしなくていい。逃げ出す場所を間違えない人間は、案外有能だよ。佐竹部長に捕まらなければ、もっと高く評価していたかもしれないけど」
「えっ」
思わず目を丸くする葵に、彼は肩をすくめた。
「冗談だよ」
軽く云い放つと彼は笑う。
その笑みが本音かどうかは、測りきれなかった。
「ラボを案内しよう。せっかくだし、君の研究花もみてみたい」